スポンサーリンク

ザ・ストロークス、2001年のデビューの衝撃を振り返る

スポンサーリンク

NME Japan

Photo: GETTY ここは『NME』のオフィス。2001年1月、冬のど真ん中で、日々は憂鬱な溜息に収斂していた。隅の方で編集補助の女性が短く咳をして、彼女はもう一度JJ72の特集記事をやるところだった。コンピューターの周りにはポストイットが張り巡らされている。リンキン・パーク? コーン? パドル・オブ・マッド? 順番に線が引かれて消されていく。壁には様々な表紙に(トラヴィスの)フラン・ヒーリーのいつも素敵な顔が笑みを湛えていた。時計の針が刻まれる。音楽は息を引き取ろうとしていた。 「音楽というのは基本的に人道に対する罪だった」とジェイムス・オールダムは振り返っている。彼なら知っているはずだ。今はユニバーサルでA&Rを務めている彼はかつて音楽部門で国連オブザーバーの議長を務めたこともあったが、2000年から2003年の間は『NME』の副編集長を務めていた。ある決定的な日がくるまで、それはずっと苦労に満ちたものだったという。 「人々が唯一関心を持っていたのはニュー・メタルだった。フレッド・ダーストみたいなお調子者とか、キルト・スカートを履いたコーンのメンバーだとかね。ひどい…
続きを読む>>ザ・ストロークス、2001年のデビューの衝撃を振り返る

スポンサーリンク
スポンサーリンク