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KOJOE、傑作『here』を語る 「リスナーがブチ上がる曲を作った」

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KOJOEがOlive OilやAaron Choulaiとのジョイント作を経て、実に4年半ぶりとなるソロ名義のオリジナルアルバム『here』をJazzy Sport / P-VINE,INCからリリースした。

すでに各所で話題になっているが、本作はKOJOEの半生がそのまま投影されたような、素晴らしい内容に仕上がっている。今回のインタビューでは、『here』が完成に至るまでの背景を聞いた。

■俺がエクスタシーを感じる曲ではなく、リスナーがブチ上がる曲を作ろう

ーーアルバム『here』をJazzy Sportからリリースすることになった経緯を教えてください。

5lackと一緒に動いているマサトくんがJazzy Sportの人なんですよ。俺は5lackと仲が良いこともあって、去年くらいからマサトくんにリリースのことでいろいろ相談するようになりました。

ーーなるほど。それでアルバムリリースという流れになったんですね。

いや、最初は俺が妄想してた謎のスケジュールについて相談してました(笑)。コラボものとか、コンセプトものとか、3年分の作品を7つくらい半年で一気に制作して、そのあとしっかりした作品を腰を据えて制作しようとしてたんです。そしたらマサトくんが「7つのプロジェクトを整理して、1枚のアルバムにしたらいいんじゃないですか?」と提案してくれて。最初、俺はマサトくんの意見も右から左って感じって聞き流してたんだけど、ある時「いま作った作品を3年後の自分がフィールできるかな?」という気になってきたんです。ちょうど自分のスタジオも作ったことだし、このタイミングでアルバムを出すのもいいかなって思えました。

ーー『here』はいつ頃から作り出したんですか?

Aaron Choulaiとのコラボアルバム『ERY DAY FLO』を出した後に作り出してたから、6~7月くらいからですね。

ーーアルバムのコンセプトが見えてきたのはいつ頃ですか?

う~ん、そこは作りながらという感じかな。一応「Don’t Look Back」みたいな仮タイトルは最初のほうから考えていました。ジャケのイメージもあったし。『here』という具体的なコンセプトができたのは9月くらい。でも今回のアルバムは、結構肩の力を抜いて作ってるんですよ。いままで「日本はアメリカの51番目の州だ(『51ST STATE』)」って言ってみたり、自分自身の葛藤を歌ってみたり、“何か”を探してた部分があったんですよね。だけど今回はもっとリラックスしてる。適当に諦めちゃったわけじゃないんだけど。

ーー具体的には、どんな心持ちだったんでしょう?

「もう、いいじゃん」って感じ。自分も周りも赦しちゃおう、みたいな。オリーブ(Olive Oil)くんやアーロンとの作品も含め、いままでの作品には自分の思いがすっごい凝縮されてるんですよ。でも、それが音としてみんなに共感できるようにはなってなかったのかもしれない。

ーー個人的には過去作より攻撃的なリリックが少ないと思いました。

確かにそうかも。今回は誰かを攻撃するために作ってないですね。あともう自分のストーリーを話すこと自体に飽きちゃって。だから、俺がエクスタシーを感じる曲ではなく、リスナーがブチ上がる曲を作ろうって。それは『here』の制作当初からありました。で、ブチ上がったリスナーを見て俺もブチ上がりてぇな、みたいな。もちろん自分の中にあることを歌ってるし、経験してきたことを題材にしてる曲もあるけど、根底にはそういう考え方がありましたね。

ーー確かに『here』を聴いて、KOJOEさんの角が取れたと思いました。

それ、本当によく言われます。アルバムを先に聴いた関係者とかは、俺のTwitterのちょっとした投稿にも「角が取れた」と感じてるみたい。自分では全然意識してないんだけど、取材でもめちゃくちゃ言われるから俺自身も「ちょっと変わったんだな」って思うようになってきましたね(笑)。

■クラックハウスにドライブバイ。クィーンズでの壮絶な生活

ーー角は取れたんですが、ブラックミュージックとしての強度は増したと思います。直接的には歌ってないけど、滲み出ちゃってる感じがするというか。KOJOEさんはニューヨークのクィーンズで暮らしていたことがありますよね? どんな生活だったんですか?

当時はApani B Flyというラッパーの嫁がいたんですよ。Mos DefとかTalib Kweliとかと一緒にやってるラッパーで。俺はその子の地元のホリスというところに住んでました。一見良い感じに見えるけど、ゲトーで普通にドライブバイ(車からの銃撃)があったりする。別名・リトルコンプトンと呼ばれてました。家の裏にJam Master Jay(RUN-D.M.C.)の名前がついた通りがあって、壁には彼のミューラル(グラフィティ)がいっぱいありましたね。

ーー家の裏通りでドライブバイですか……。

ホリスは、50Centとか、ブラッズのメンバーだったLost Boyzとかの地元・ジャマイカ・アヴェニューがすぐ近くなんですよ。俺がいた頃は抗争が多くて、裏通りでよく人が死んでた。外から「プルルルル」って音が聞こえ始めると、それは殺し合いしてるってことで。

ーーマシンガンの音ということですか?

そうですね。小さい普通の家だったから窓の近くにはいかないようにしてました。家にはApaniと俺のほかに、Apaniのおじいちゃんと、旦那にDVされて逃げてきた彼女の親友とその子供たち3人がいたんですね。家の中にいても流れ弾が飛んでくることがあるから危ないんですよ。

ーーゲトーですね……。

家の裏にコンビニがあったんだけど、その隣がクラックハウスだったんでポン中がいっぱいいました(笑)。

ーーKOJOEさんもギャングだったんですか?

俺は全然違いますよ。でもApaniはラップをやってたから、周りには元ギャングも現役もいっぱいいた。彼女はNASと同じ1974年生まれなんですけど、80年代のニューヨークには中学生くらいで人殺して刑務所を行ったり来たりしてるような子のことをスティックアップキッズと呼ぶんです。Apaniはコンシャスなラッパーだったけど、周りはスティックアップキッズだったやつばかりでしたね。

ーーでもKOJOEさんはそこには入らなかった、と。

昔からそうなんですよ。日本でも暴走族やってた友達と一緒に走り回ったりもしたけど、そういうのの一員にはならなかった。ちょっと変わったポジションにいるんですよね。一緒に遊んだりするのは好きだけど、グループになるのは嫌だというか。小さい頃よく転校してたから、それも関係してるかも。

ーーそのスタンスはいまでも変わらないですね。

今回やっと開国した感じ(笑)。いろんな人に手伝ってもらった。マサトくん、Jazzy Sport、P-VINE……。客演もいっぱいいて。こんなの初めてですよ。

ーー開国したのは「いいじゃん」というマインドになれたからですか?

そうだね。俺が知ってる世界観や、俺が好きだと思うものをいろんなやつとシェアしたいと思った。それで良いものを作ろうって。

■現場にはヤバいやつらがいっぱいる

ーーPVにもなった「BoSS RuN DeM」が話題です。

とにかくボスった曲を作りたかったんですよ。世の中のボスってるやつを鼓舞するような曲。だから絶対女性に入って欲しかった。AKANEちゃんもAwichも面識はなかったんですが、コンセプトとビートを送ったら超気に入ってくれて。俺なんかより全然知名度があるけど、今回の音ありきで奇跡的に繋がりました。

ーーかなり濃い曲ですよね(笑)。

実は俺がバチバチに攻めてるヴァースも録ってるんですよ。だけど、曲全体の構成を考えると俺のヴァースはシンプルにして、AKANEちゃんで徐々に盛り上げて、Awichでブチ上がるほうが良いと思った。この曲での俺は司会みたいな立ち位置。俺はいろんなフロウを駆使したりリズムを刻むのが好きだけど、今回は固定概念を捨てていろんなアプローチのラップを楽しみました。

ーーISSUGIさんが参加した「PenDrop」もアツいです。

最初「Prodigy」でオファーしてたんだけど「KOJOEくんとやるならサシがいい」って言ってくれて。そしたら俺も「おっ、おっ、こいつ良いな。おもしれえ」ってなっちゃった(笑)。

ーーISSUGIさんとは付き合いが長いんですか?

最初に知り合ったのは、5lackが「東京23時」に誘ってくれた時。BED(池袋)で初めて会ったんだけど、そこからは特に絡みはなかったかな。でも、ここ(Jスタジオ)ができて付き合いが密になってきましたね。自分のレコーディングでも使ってくれて、結構気に入ってくれたみたい。

ーー「PenDrop」はどうやって制作したんですか?

どのビートでやるかここで一緒にいろいろ聴いてたんですよ。そしたらレコーディングの前々日くらいに俺が作ったのに反応して。ISSUGIはその場でリリックを書き始めて、俺もその場でビートを手直ししてレコーディングしました。その後に俺がサビを足して、さらに全体をブラッシュアップした感じです。

ーー今回のアルバムで6曲もビートを提供しているillmoreさんはどんな人ですか?

オリーブくんが紹介してくれたんですよ。あいつはオリーブくんからもらったという俺のアカペラで、いろんなリミックスを作ってて(笑)。それがすごく良かったから『here』にも参加してもらうことにしました。定期的にいろいろ送ってきてくれるビートの中から20~30曲、俺のほうでストックさせてもらって、そこからさらに6曲までセレクトしました。実はもっと使いたいビートはいっぱいある。なんなら俺とillmoreだけでアルバムできちゃう(笑)。

ーー今回のアルバムはすごくバラエティに富んでいますね。

ソロアルバムとしては4年半ぶりだけど、音楽はずっと作ってた。その中でオリーブくんを筆頭にいろんなビートメイカーたちと知り合ったんです。ラッパーとの絡みはないけどカッコいいビートを作るやつは日本全国にいっぱいいて。俺はそういうビートにもっとラップを乗せるべきだと思ったんですよ。ラッパーもそうで、現場にはヤバいやつらがいっぱいる。今回は、そいつらに協力してもらいました。

■Jスタジオがあったことがデカい

ーーアルバムの中でキーになっている曲は、だいたいKOJOEさんのビートですね。ビートメイクはいつ頃からやっていたんですか?

実はニューヨークで初めてMPC2000XLを買って、20歳くらいの頃からずっとやってたんですよ。でも当時の俺の嫁はDJ Premier、J Dilla、9th Wonder、Pete Rock……、もうすげービートメイカーたちのすげービートをもらって曲を作ってたんです。俺はそれを横で見てたから、自分の作ってるビートがクソダサく思えて仕方がなかった。そしたらここを作ってる中で、その頃作ったビートが大量に出て来たんですよ。もう10年以上前に焼いたCDだから読み込めないのもたくさんあったけど、そういう昔作った自分のビートをここで聴いてるうちに、ビートメイカーとしての自分も赦せちゃったんです。自分を使おうって。だからマインドの感じが違ったら、「BoSS RuN DeM」も使ってなかったと思う。「Everything」のビートなんて、10年くらい前に作ったやつだし。

ーーJスタジオを作った理由を教えてください。

衝動的に(笑)。去年の11月くらいに、大工をやってる義理の兄貴が「時間あるなら親方やんない?」って声かけてくれたんですよ。若いやつが必要だったんで、友達に紹介してもらったDAIAに「一緒にやるか?」って聞いたら「やる」っていうから、4か月くらい2人でゴキブリとかネズミがうじゃうじゃいるような現場で働きまくりました。朝は5時から、晩は21時くらいまでで、すげーキツい仕事なんだけど金が良いんですよ。だからそこで稼いだ金を全部このスタジオに注ぎ込みました。

ーーJスタジオもKOJOEさんが一から手作りしたんですよね?

そうそう。業者に頼んだら何倍もかかっちゃうと思うよ。機材も中古ばかりだけど、納得できるものをコツコツ集めて。あと友達にお願いしてパソコンを最強仕様にチューンナップしたり。配線も福岡から友達を呼んで良い音がでるようにしてもらった。『here』が過去の作品と圧倒的に違うのは、ここ、Jスタジオがあるということだと思ってるんです。人がここに来て、一緒の空気で録るっていうのは全然違う。

ーーJスタジオを作ったことは、かなり大きかったみたいですね。

デカい。あと親方としてDAIAと一緒に過ごした時間がデカかった。親方やるのはその時が初めてだったんですよ。もともとツルむのも好きじゃないし、何かを作るときもいままでは他人に手伝わせなかった。全部自分でやっちゃう、みたいな。でも親方は下の人間を育てなきゃいけないんです。その経験がこのアルバムをこのスタジオでいろんな人間と作る上での、いい練習になったようなところがあります。いま思うとDAIAと過ごした過酷な大工仕事から、いまのいい流れがすべて始まってる気がしますね。

■いま立ってる場所が居場所なんだって思えるようになった

ーー「JOE’S KITCHEN」を始めたことも意外でした。

ここがあるから始めた感じ。もともとお喋りなんですよ、俺。

ーー番組を観るまでKOJOEさんは怖い人だと思ってました。

それも本当によく言われます(笑)。日本に帰ってきて最初は知り合いもそんなにいなかったし、ちょっと壁を作ってたのかもしれないですね。ヒップホップって言ったって、所詮は夜の世界だから。酒、女、金……。不良がいっぱいいるんですよ。足すくわれないように気を張ってなきゃいけないとこもあって。みんな敵っていうか。不良同士だったらそういう感覚はわかってくれると思うんです。けどそういうのに慣れてない心の優しい人は、気を張ってる俺を見て、ただただ怖いって思っちゃってたと思う。それでいい出会いも逃してたんだなって最近思うんです。だからいまは基本的にはナチュラルな感じでいます。

ーー今回“音があれば場所じゃない”という結論に至りました。では、なぜいままで居場所がないと感じていたと思いますか?

たぶん常に横にあったんですよ。でも俺が気づいてなかったんだと思う。ウェルカムしてくれる人たちは全国にいるし。でも沖縄行ったり、名古屋行ったり、福岡行ったり、音楽で繋がった仲間たちが「おかえり」って言ってくれると、実際に俺の地元ではないからちょっと寂しかったりもして。俺、中学とか高校の時期の友達、というか知ってる人すら人生に1人もいない。

ーークィーンズはフッドではないんですか?

もちろん第二の故郷だと思ってます。だけど7~8年前に帰ってきて、日本に住めば住むほどクィーンズをフッドとしてレペゼンするのは、自分の中で疑わしい。そもそも俺がフッドをレペゼンするという感覚自体がナンセンスのような気もしてきてる。地元がないからこそ、いろんなところに行けて、しがらみなく自由にできるわけで。場所関係ねえなって。自分が自分の地元っていうか。いま立ってる場所が地元で、そこが居場所なんだって思えた。

ーー最後に、KOJOEさんにとってイケてるヒップホップとはどういうものかを教えてください。

トラップでもブーンバップでも、イケてるやつはイケてると思う。ただヒップホップはもともと黒人文化から始まってる。奴隷の歌がブルースになって、そこからロック、ドゥーワップ、ソウル、ジャズとかいろんなものが生まれた。ヒップホップはそれが前提なんですよ。歴史の中でいろんな痛みや悲劇が生じたからこそ、あんなソウルフルな表現ができるようになった。「生き様がヒップホップだ」「音がヒップホップだ」とかいろんな捉え方があるけど、やっぱり黒人がやってる音楽でリズム感がないとか、フロウができないなんていうのはありえないんですよ。そんな音楽は存在しない。ダサくても、黒人音楽ならそういうのは絶対にある。最低でもそこはクリアしなくちゃいけない。

KOJOE – 『here』(JAZZY SPORT/P-VINE,INC)

01. KING SONG (Feat. Mayumi) / Prod by illmore

02. Smiles Davis (Feat. Dusty Husky & Campanella) / Prod by illmore

03. PenDrop (Feat. ISSUGI) Prod by Kojoe

04. Prodigy (Feat. OMSB, PETZ, YUKSTA-ILL, SOCKS, Miles Word, BES) / Prod by Kojoe

05. 80 Connections / Prod by BudaMunk

06. Memory Lane (Feat. DAIA) / Prod by illmore

07. Tokyo City Lights (Feat. Ace Hashimoto & 5lack) / Prod by Devin Morrison

08. Salud (Feat. MUD & Febb) / Prod by Kojoe

09. Road (Feat. Buppon) / Prod by illmore

10. Mayaku / Prod by illmore

11. Cross Color (Feat. Daichi Yamamoto) / Prod by fitz ambro$e

12. PPP / Prod by Dehab

13. to my unborn child / Prod by illmore

14. 3rd “I” / Prod by Olive Oil

15. BoSS RuN DeM (Feat. AKANE & Awich) / Prod by Kojoe

16. Day n Nite / Prod by SNKBUTNO

17. here / Prod by Aaron Choulai

18. Everything (Feat. RITTO) / Prod by Kojoe

Source: Abema HIPHOP TIMES

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