ヒップホップの歴史に名を刻む偉大なラッパー、2Pac。1996年に非業の死を遂げた彼の壮絶な人生はこれまでに多くのドキュメンタリー作品でも描かれているが、満を持して伝記映画が登場! 1000万枚超えのセールスを記録した4thアルバム『オール・アイズ・オン・ミー/All Eyez On Me』の名を冠した本作は、彼の真の姿を伝えている。
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映画『オール・アイズ・オン・ミー』の公開を記念し、日本のヒップホップ界を代表する大御所にインタビューを敢行! 90年代から第一線で活躍しているZeebraとKダブシャインのお二人に、2Pacと本作について語っていただいた。
■映画『ジュース』が2Pacの知名度をグッと上げた
―ズバリ、当時のシーンに2Pacが登場した時の衝撃はどんなものでしたか?
Zeebra:デジタル・アンダーグラウンドのときに2Pacのこと意識してた? いつからいたの?
Kダブシャイン:「Same Song」(2ndアルバム『This Is an EP Release』収録)かな。1枚目(『Sex Packets』)にはまだ参加してない
Z:あ、そのときなんだ。
K:そのツアーでクィーン・ラティファと一緒に日本に来た時にはまだダンサーで。紙持って走り回るみたいな役をやってた。
Z:へ~。
K:で、六本木のサーカスとかにメンバーみんなで遊びに来てて、そのときに紹介されたのか覚えてないけど、名前は聞いた記憶がある。DJ FuzeとかRaw Fusion(ロウ・フュージョン)のMoney-Bはオークランド出身で、もともとDUのメンバーも2人くらい知ってたから、2Pacには気を留めてなくて。でも、当時俺が仲良かったジンバブエ大使館の娘が2Pacとスゴい仲良くなってた(笑)。その後「Same Song」が出て「お、あいつだ」と思って。ビデオにも出てる、みたいな。でも特に、DU ft.2Pacだ! みたいな驚きはなかったかな。
(※かつてKダブ氏は米オークランドで生活していた)
Z:なんか新しい奴が1人出てきた、くらいのレベルだったよね。
K:DUのいっぱいメンバーいる中の1人が前に出てきたのかな、みたいな。
―そんな彼の名前がドバッと広がったきっかけは何だったんでしょうか?
K:うーん、正直1~2枚目は日本ではそこまでウケてなかった気がするんだよね。
―では、それこそ『All Eyez on Me』(4thアルバム:1996年リリース)からでしょうか?
Z:いや、2枚目の『Strictly 4 My N.I.G.G.A.Z…』くらいからかな。
K:ただ、アメリカのMTVとかでは「Brenda’s Got a Baby」(1stアルバム『2Pacalypse Now』収録)とかもよく流れてて、良い曲だな~と思ってた。でも爆発的に売れたのは『ジュース/Juice』(2Pacが出演した1992年公開の映画)じゃない?
Z:そうだね。彼のイメージがグイッと上がったのは『ジュース』かも。
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■リアルな歌詞の曲をレーベルと揉めてでもリリースしたことが良かった
―キングギドラの結成は93年くらいですよね?
K:92年の終わりに(日本に)帰国して、93年ぐらいから。
Z:その頃だとLords Of The Undergroundとか、ONYXとか。
K:フィラデルフィアに住んでた頃にDUが来て、バックステージで挨拶したな~。まだラップ始める直前くらいで、詩を書き始めたころだったけど。
―なぜ2Pacは当時のシーンで大成功した/受け入れられたんでしょう?
Z:さっきMTVの話が出たけど、MTVへのアクセスがあるアーティストと無いアーティストがいたんだよね。<Yo! MTV Raps>とかでビデオかけてもらえたりローテーションに入れてもらえる/もらえないアーティスト、っていうのはあったかなと。やっぱりメジャーアーティストのほうがピックされやすかったけど、その中でもDUは1枚目からよくかかってた。だからそういう流れを持ってたんじゃないかなって気がする。
K:DUは「The Humpty Dance」がすごい売れたから、TOP20には入ってたと思う。
Z;いいパイプがもうあったんじゃない? DUの段階で。
K:確かにDU時代と同じマネージャーがついてたから、そこは割とプッシュできたのかも。でも<インタースコープ・レコード(Interscope Records)>と契約するんだけど、そのときまだ(インタースコープ)は出来たばっかりで、1人目がGerardoっていうスパニッシュ・ラッパーで、2人目がマーキー・マーク(現俳優のマーク・ウォールバーグ)だったの。ヒップホップとしてはインチキっぽいじゃん(笑)。で、3人目が2Pacだったんだよね。たしか「Trapped」って曲が1枚目のシングルで、そのときはまだDUテイストだったけど、全然売れなくて。で「Brenda’s Got a Baby」でビデオがすごくウケた気がする。
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Z:<SOURCE(The Source Magazine)>とかでも話題になったんだよね。
K:映画の中でもインタースコープの人間と「出す/出さない」で揉めてるよね。あれを経て出したことがよかった。
■ひとりひとりに語りかけるような歌詞の書き方をしてた
―日本では特に“サグい”印象が先行している2Pacですが、本作を観ることでいくつかの歌詞の内容や書かれた背景もある程度分かるようになっています。彼の音楽・歌詞の魅力とは?
K:亡くなってから出たアルバムの曲って、ほとんど優しい曲ばっかりなんだよね。だから死ぬ直前にはデス・ロウ(Death Row Records)も抜けようとしてたし、シュグ・ナイト(デス・ロウCEO)に対しても疑問を感じ始めてたし、歌詞も「俺が死んだ後は」とか「皆どれぐらい悲しんでくれるかな」とか「天国にゲトーはあんのか?」とか、自分のまだ見ぬ子どもに対してとか、そんな歌ばっかりなわけよ。だから優しさにあふれてるんだけど、『All Eyez on Me』あたりの曲がほんとにサグいんだよね。
―当時の日本での受け入れられ方もそういったイメージでしょうか?
Z:歌詞がすごく直接的だったから。たとえばビギー(ノトーリアス・B.I.G.)とモメたときの「Hit ‘Em Up」のリリックも、いわゆるヒップホップ的な言葉遊びの面白さとかではなくて、もうストレートに「お前殺すぞコノヤロー」みたいに、ただただ罵るっていう。
K「Get Money」(Junior M.A.F.I.A. feat. Notorious B.I.G. – Get Money)をサンプリングしてね。
Z:そうそう。だからヒップホップIQは決して高くないというか、むしろだからこそ万人にウケやすかったってこともあったのかもしれない。白人ファンもいっぱいついたし。
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K:サウンドに対してあまりアーティスティックじゃなかったんだよね、トラックとか。ただラップとかポエトリーに関しては、すごくアーティスティックだったと思う。
―人種を問わず訴えかけてくるような?
K:「俺はこうだ」「俺たちはこうやってやるんだ」ってステートメントを曲にするよりは、直接ひとりひとりに語りかけるような歌詞の書き方なんだよね。だから言葉遊びの必要が無かったのかなって。
Z:2人称、3人称じゃないんだよね。
K:文学的ではない。
―劇中ではシェイクスピアの引用が多々出てきますが、それらを踏まえたうえで、あえてそういう歌詞の書き方をしていたのでしょうか?
K:1曲を作るのにそんなに時間かけないらしいのね。どういうモノを作ろう? って考えてじっくり組み立てていくっていうより、ただただボーカルブースの中に入りっぱなしでトラックを聴かせてもらいながら、わーっと書いたらすぐ録って、また新しいトラックを聴いて……っていう。とにかく録って出しの繰り返しで、そんなに熟考を重ねて曲を作ってたわけじゃない。トライブ(A Tribe Called Quest)とかドレー(Dr. Dre)みたいに時間をかけて音を作り込むってことはしないスタイルなんだと思うよ。
そこは2Pacにも意見があって、ドレーみたいに1日にドラム1個の音サンプルするだけとか、そんな奴とは曲作ってらんねーって言って、すぐトラック作って出してくれる奴と組み始めたらしい。
Z:2Pacが熟考しないで書いてた云々っていうところで分かりやすいのは、“マザーファッキン○○~”みたいなワードを多用するんだけど、そこをもうちょっと熟考してたら、その間にもう少し面白い歌詞も考えて入れるはずだし、ラッパーだったら。そういうのをツナギに使ってるんだよね。
この人はもっとライフスタイルとか、そういうところで魅せる感じなのかなって。だからウェッサイの、ギャングスタラップの感じって、ちょっとそういうところがあるんだよね。ラップがどんだけスキルフルかっていうよりも“俺たちの生活はこんなんだぜ”って言ったりとか。
K:あえて汚い言葉を入れたがったりね。
Z:そうそう、やっぱそういうことだったと思うんだよね。
K:2Pacはそれこそ自分の死を予測してたのか、デス・ロウから抜けようとしてたのか、焦ってるみたいに曲を一杯作ってたらしい。
■スヌープの“腕の長さ”がスゲー似てた(笑)
―東西抗争の描写などはどう感じましたか? 当時の日本でも抗争について報じられていたんでしょうか。
Z:もちろん。<SOURCE>とかでも騒ぎになってた。
K:気にはしてたけど、そんなに感情移入まではしてなかったかな、俺ら東京の人間は。俺ウェストにもイーストにも行ったけど、喧嘩両成敗っていうか、そんなにシリアスなもんだとは思ってなかったね。
―劇中で東西抗争を極端に描こうとしていないのは、そこは強調しないほうがいいという判断だったんでょうか?
Z:そういうことよりも、むしろ、例えばそれこそ逆にビギーが映画にも出てくるじゃないですか。あれは、別にビギーとはもともと仲良かったんだよっていう話だし、ぜんぜん違う者同士が突然いがみ合った話じゃなくて、普通に仲良かったところがちょっとしたすれ違いでそういうことになった、みたいなことでいいんじゃないかな。
そういうことって普通にあるじゃないですか。もしかしたら俺らだって、大阪の仲良いラッパーとちょっとしたことでいがみ合っちゃうことだってあるかもしれないし。
―ビジュアル面でのお話になりますが、2Pacやビギーの他にも、シュグやドレー、スヌープなど、それぞれの俳優はどうでしたか?
K:スヌープの腕の長さとか、スゲー似てるなと(笑)
―喋り声とかも似せてますよね。
Z:そうだね、スヌープのほうが似てたかな。
K:ドレーは似てないから一瞬しか出てきてない(笑)
Z:シュグはだいぶ近かったなー。一度LAのホテルのロビーですれ違ったけど、くそデカかった(笑)
K:ジェイダ・ピンケット=スミスが可愛かったな。
Z:そうだね、Kat Graham(カット・グレアム)さん。
―劇中では街の雰囲気やファッションなども、90年代当時の流行を忠実に再現していますよね。
K:冒頭の87年のシーンで、2Pacがパブリック・エナミーの「Black Steel In The Hour Of Chaos」をヘッドホンで聴きながら歩いてるんだけど、当時まだあの曲は生まれてないから(笑)。あそこは「Bring The Noise」か「Rebel Without A Pause」のほうが良かっただろうなーって。時代考証が甘い!
Z:フフフ(笑)
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―そういった描写も含めて、本作の「ここは特にイイ」「リアルだな」と思ったところは?
Z:2Pacが車の中でかける曲を選ぶシーン。Outlawz聴いてたんだけど、シュグにR&Bを聴かせて「なんでお前こんなの聴いてんだよ?」みたいに言い合うところ、俺はすごい好きなんだよね。2Pacの音楽愛を感じるというか。シュグはギャングスタだから、金が儲かりゃ何でもいいんですよ(笑)。でも「これは俺のソウルなんだよ」みたいなことを言うじゃないですか、そういうところ、すげー好きですね。
■一時的に悪い方向に行って、たまたま起こってしまった悲劇
―ジェイダ・ピンケットを含め、劇中でも彼を良い方向へ導こうとする人物が何人か出てきますよね。
K:あの日、ラスベガスに行ってなければ死んでないかもしれないし、そうすれば今ぜんぜん違う力を持ってアメリカで存在してるかもしれない。ただ悪い方向に行ったというよりは、一時的にああなって、その瞬間に悲劇が起きたってことなんじゃいないかなと思うよ。本質はリアルな男だと思うんだよね。
Z:2Pacが他の奴とちょっと違ったのは、ニュース番組とかにモロに出ちゃったりしてたじゃん。車にハコ乗りして「thug life muthafucka!」みたいなこと言ってる姿とかさ。
K:LA暴動のときにもクール・G・ラップとかと同じスタジオでレコーディングしてて、「ちょっと行こうぜ」って4人くらいで車に乗って、いろいろ略奪したりしたらしい(笑)
―2Pacが好きな人以外でも、こういうところに注目しておけば楽しめる、ここに注目すべき、というポイントがあれば教えてください。
Z:結局この映画を観てても、やっぱりすごく純粋な男なんだよね。その動物的なピュアさというか、そういう人っているじゃないですか、そういう部分かな。俺の周りだと(真木)蔵人が2Pacぽいって思うんだよね、あいつもたまに破滅的で……。
K:教育もちゃんと受けてるし、親も活動家だから哲学観とかもあるでしょ。で、他のラッパーと比べて自分は“サグさ”とか“ゲトーさ”に欠けるとかっていうのがあって、それを埋めようとしてどんどん悪いネガティブな方に寄ってっちゃったんだろうなっていうのはすごく残念かな。
Z:そうだね~……人として魅力があるタイプだったんだなって、ほんとに思う。
『オール・アイズ・オン・ミー』は2017年12月29日から全国公開
Source: Abema HIPHOP TIMES