情熱とアイディアを持って「生活」と「音楽」を両立させている人にフォーカスを当てて話を聞いていく対談連載「生活と音楽」。
第三回目となる今回はATATAのボーカル奈部川光義さんに話を聞いた。
奈部川さんが所属するATATAは音源のフリー配信や、昼間開催のフリーライブでツアーを周るなど、今までのロックバンドがなかなか踏み出せなかった活動を意欲的に展開している。
そして、色々なメディアで既出ではあるのでご存知の方も多いかと思うのだけれど、メンバー全員がサラリーマン。普段の仕事を勤めながらそのバンド活動は行われている。
ATATAの、奈部川さんの「生活と音楽」にはとても魅力的な「思想と方法論」が存在した。
Interview & Text:タイラダイスケ(FREE THROW)Photo:おみそ
<ATATA / Rise and Falling>
「もうバンドはこりごり」から「ガンガン行こう」への変化
タイラダイスケ(以下タイラ):今日はよろしくお願いします!もしかしたら奈部川さんのことをこの記事で初めて知る方もいらっしゃると思うんで、今やっているATATA含め、奈部川さんが今までどんなバンド人生を歩んできたのかをお伺いしてもいいですか?
奈部川光義(以下奈部川):俺は横浜生まれの横浜育ちで、16歳からずっとバンドをやり続けていて。人目にあたるというか、みんなに知ってもらえるようになったのが20代の時のOatmealっていうバンド。それがちょうどメロコアブームの先駆けの頃かな。それを経過してBANDWAGONっていうバンドを20代半ばから30歳過ぎまでやっていて、で、そのバンドが動けなくなって。その後3年間ブランクがあって、今のバンドのATATAに誘われて。
タイラ:ATATAには誘われて加入したんですね。
奈部川:そうそう。ATATAはもう最初に楽器は全パート揃っていて、で「ボーカルがいない」って俺のとこに連絡がきたっていう。
タイラ:ボーカルを最後に決めるっていうのは結構珍しいですね。俺が奈部川さんのことを知ったのはBANDWAGONでThe Clashの「Rock The Casbah」のカバーをやってたミニアルバム「New Machine Extended Play!!!」です。
<BANDWAGON / Rock The Casbah>
奈部川:古いね。あれも相当前だもん。
タイラ:昔FREE THROWで名古屋とか行ったときに竹内電気のメンバーにDJやってもらうといつもあの曲かけてましたよ。
奈部川:えーそうなんだ?
タイラ:大好きなカバーでしたし、俺もThe Clash大好きなんで個人的にめちゃくちゃ盛り上がってました(笑)。ATATAはもう何年目でしたっけ?
奈部川:ATATAはね、えっと2010年の5月に結成したから…7年経ったね。
タイラ:今までのキャリアの中でATATAが一番長いバンドになってるってことですよね?
奈部川:そうそう。実はもう一番長くなってるんだよね。(ATATAが)集まるときに考えたのは、多分音楽はずっと死ぬまでやるんだろうけど、体力的にも精神的にも、その両方のパワーを使ってちゃんと精力的にやるバンドはATATAが最後なのかなって。
タイラ:そうなんですね。ATATAを始めた時は何歳ですか?
奈部川:35歳だった。
タイラ:俺が今36歳なんで、なにか新しいことを35歳でやるのってすごくパワーがいることだなっていうのは想像できます。でも「音楽は死ぬまでやる」っていうのは決めていたんですよね?
奈部川:そう。ちょうどATATAに入る前の3年間、まったく空白のブランクがあって。そこで色々考えてて試行錯誤して、音楽は一人でやろうと思ってたんだよね。ラッパーになろうかなって思ったりして。でもたまたまATATAに誘われて、まぁやってみるかってやったら意外とハマった、みたいな感じかな。
タイラ:ちょっと意地悪な質問なんですけど、3年の間に音楽とかバンドをもうやりたくないなぁ、とか思ったことはないんですか?
奈部川:まぁ…もうバンドはこりごりだと思ったよ(笑)。
タイラ:そうなんですね。
奈部川:一人のほうが楽だし。で、その頃ちょうどDTMのソフトとかも一般的になってきて、自分で初心者なりに簡単なことだったら出来るようになってたから、もう一人で出来るべっていう。それにその当時、自分の興味がある音楽の方向がそれこそヒップホップだったりレゲエだったりしちゃって、ライブハウス行かないで深夜のイベントばっかり行ってたってのもあるし。もうバンドに未練もなかったし。
タイラ:意地悪な質問が続いちゃうんですけど、バンドがこりごりだと思ったのはやっぱりたくさんの人間で一つの音楽をやるっていうのが負担だったとかストレスだったとかそういう理由ですか?
奈部川:多分、なんだかんだで俺は団体行動無理なんだよね(笑)。
タイラ:今はそういう風に見えないですけどね(笑)。
奈部川:ほんと?(笑)でも30歳過ぎるとコントロールできるんだよ。20代とかだとコントロールできないからぶつかるじゃん?だけど今はそういう自分の「団体行動は苦手だ」って性格はわかりつつも、コントロールは出来るから。たまにみんなと険悪な雰囲気になっても「あ、そういえば何年か前に同じようなシーンあったな」とか思ったり。
タイラ:なるほど、じゃあ経験が自分の中で生きてくるんですね。
奈部川:よく言うんだけど、30越えてバンドやるのってもう2回目の結婚みたいなもんで。もう失敗例が貯蓄された上でやってるから、真剣には話すけど揉めはしないっていう感じになるのかな。
タイラ:それってATATAをやり始めて「あ、こういう風に自分が経験を積んで成長したんだな」っていうことが逆説的にわかったみたいなところもあるんですか?
奈部川:そうだね…今思うんだからそういうことなのかなって思うね。だからよくATATAのみんなで話すけど、俺たちはあのタイミングで集まらなかったら、多分とっくに解散してるなって。俺が35の時に集まったから良かったっていうのは思うかな。
タイラ:バンドはこりごりだって思っていたところから、もう一回バンドをやるぞって決めたのって結構覚悟は要りましたか?
奈部川:最初はね、俺個人は適当にやろうと思ってたの。他のメンバーも俺より年下だけどいい年になってたから。で、一回目の練習の時に、みんなどういうスタンスなんだろう?と思って、「どうやりたいの?」って聞いたら「ガンガンやりたい!」って。「そうなんだ!じゃあガンガンやるか!」って。「何か先の予定決まってるの?」って聞いたら「初ライブが決まってます!半年後にFEVER(※1)です!」って言うから「じゃあ曲あるの?」って聞いたら「ない!」って(笑)。
※1 新代田FEVER。新代田にあるライブハウス。国内外人気アーティストが多数出演し、東京内でも一際存在感を示しているライブハウスの一つ。
タイラ:ライブだけ先に決めていたんですね(笑)。
奈部川:それで、「あと半年か…。じゃあ一か月一曲作れば6曲になる」と。で、なんだかんだ半年たって6曲の目標には届かなかったけど5曲は出来て、まあ何とか形にはなったんだよね。
ATATAとしての初ライブと初音源
タイラ:その5曲での初ライブではやっぱ手応えがありましたか?
奈部川:いや、手応えはなかったよ。いっぱいいっぱいだった。だってキーボードのKentaくんとかそれこそ初心者で、ATATAになって始めたから。俺も歌うことはずっとやってきたけど、ピンボーカルは初めてだったし。他のメンバーは今までやってきたパートでバンドが変わっただけって感じだったかもしれないけど、俺とKentaくんは特に手探りだったと思う。
タイラ:言い方悪くなっちゃうんですが、奈部川さんは最初適当にやろうと思ってたわけじゃないですか?でも今のATATAまでの7年間を見てると、適当にやろうどころか他のバンドよりもよっぽど気合が入ってるように見えるんですが、どこかでギアがガッと入った感じとかはあるんですか?
奈部川:みんなで「ガンガン行こう」ってやっていくうちにやっぱり欲が出てくるじゃない?もっとライブやりたいとか、音源出したいとかってなってきたら、その昔培ったエンジンがさ、ブルルンブルルンってまた動き出して。過去の自分たちの経験から得たスキルとか、ノウハウはもう全員集まった時点であるわけじゃん?CD出すにしても、ライブの組み方にしてもみんなノウハウは持ってるから。だから自分たちが若いころバンド始めた時よりも色んなことがすごくスムーズなわけ。プレーヤーとしては手探りだったけど、バンドを動かすってことに関してはノウハウがあったから。だから、音源を作ろうと思って普通だったらどこか音源出してくれるとこはないかって探すと思うんだけど、俺たちの場合「CDなら自分達で作れるよね」って。だから最初からレーベルにCD出してもらおうっていう考えすらなかった。
タイラ:最初の音源は無料配信でしたしね。
奈部川:そうだね。無料配信をやった時点(※3)で、別に今までのやり方にのっとって出す必要もないな、とか思ったし。それにフリーだとこんなに聴いてくれんのか!と。最初にフリーで出すときに、100円のCD-Rにするって意見もあったんだけど、いい大人が100円もらってどうする?って。100円で100人にしか聞かれないなら、無料にして1000人に聴いてもらった方が良くね?みたいな。俺たちがフリーで出した7年前は、ヒップホップの世界はフリーがもう主流だったけど、ロックの世界ではまだ珍しかったからみんな聴いてくれたっていう。
※3 ATATA初の音源として「Fury Of The Year」「Recito」「General Headquarters」の3曲が無料配信された。現在でもATATAのHPからこの3曲を含むいくつかの音源がFREE DOWNLOAD可能になっている。(http://atataweb.com/download/)
<ATATA『Fury Of The Year』>
働きながら「週一はATATAのために使う」
タイラ:話題が変わって次は生活の話を聞いていきたいと思うのですが、ATATAが始まった時はみんな働いていたんですか?
奈部川:働いてたよ。
タイラ:じゃあスタジオとかもその時間を見つけてやりくりをしながら?
奈部川:そうだね。ただね、今と違うのは家族がいなかった。あ、一人いたね。一人いたけど子供が生まれるか生まれないかとかで。だから時間は今よりはあったかな。週2とかでスタジオ入ってたよ。
タイラ:今はスタジオはどのくらいの頻度ですか?
奈部川:今はきっちり決めてるわけじゃないんだけど、なんとなく週一はATATAのために使うと。それは週一が練習の時もあるし、ライブの時もあるし、レコーディングの時もあるのね。だからどれかが入るとどれかが出来ない。今は家族がいるからね。ペース自体は始まった時から考えたら多分落ちてると思うけど、でもここでもやっぱりその間にこうインターネットの環境とかが発達して、それに助けられたり。
タイラ:Daiさんのブログ(※4)にも書いてありましたよね。それこそ10年前にはなかったものですもんね。
※4 ATATAギター担当鳥居大さんのブログ記事(「インディーズバンド運営をITの力で効率化する方法」 http://diemes.jp/it-saves-band/)
奈部川:ないない。だからそこも含めてこのタイミングで活動出来てるから成り立っているんだなと思ってる。これが10年前だと無理だと思うし。でも全員でライブやるときも練習するときもレコーディングするときも最終的にはアナログじゃない?みんな集まらなきゃだし。それがなければやっぱり絆みたいなものが生まれないし、アナログ的なことは大事にしたいかなと。
パンクから得た仕事観とバンド観
タイラ:奈部川さんご自身の仕事の話も聞かせてください。最初は学生をしながらバンド活動って感じだったんですか?
奈部川:いや、全然バイトしながらやってたよ。バイトしながらやってたんだけど、最初から働きながらバンドをやろうと思ってて。なんでそう思ったのか説明を求められても難しいんだけど、音楽で飯食いたいとか最初からまったくなくて。それもここ何年か同じような質問されて答えに迷ってはいたんだけど、でもね、最近結構わかってきて。通じるかわからないんだけど、俺の聴いてきた音楽って最初はパンクで、その音楽と文化に憧れてはじめたわけじゃない?パンクの文化ってさ、(経済的に)豊かではないじゃん?それに憧れて始めて、今もずっと憧れてるから、金銭的に豊かになろうと思わないのかもしれない。汚い格好してみんなで集まってもみくちゃになって、ずっとそれがかっこいいと思って生きてきてるから。
だから音楽聴き始めたのがスタジアムロックとかそういうものだったらまた違かったと思うよ。でも俺の場合はロンドンパンクから始まってるから…あれに憧れてるんだよね、ずっと。
タイラ:俺もさっきThe Clash好きだって話をしたんですけど…あのちょっと話それちゃうんですけど、俺は大学四年生の時に「俺もう音楽の仕事しかしたくない」と思っちゃって、貰った内定断って、漠然と東京に出て音楽に関わる仕事がしたいなと思ってたんですよ。で、大学四年の夏は社会に出る前の自由になる最後の時間かもしれないから、無理しても色んな音楽を吸収しようと思って。金はなかったんですけどmixiとかで大学があった水戸から車に乗せてくれる人と、現地でテントに入れてくれる人を捜して、初めてフジロックに行ったんです。
それでやっとの思いでフジロックの前夜祭に着いたら、人だかりが出来ていて「なんだ?」って行ったらジョー・ストラマー(※5)が遊びに来ていて、握手してもらったんですよ。その年のフジロックに彼は出ていないんですけど、キャンプファイヤーの火の番をするとかで遊びに来ていて。
で、その年の冬にジョーは亡くなるんですけど、今まで伝説の人だって思ってた人とほんの一瞬ですけど顔合わせれたっていうのは自分的に本当にデカくて。亡くなってしまったこともリアルに感じられてすごく寂しいなっていうのは思いましたし、亡くなっていろんな雑誌とかにジョーのエピソードとか沢山載っていたんですけど…例えばツアーで一緒についてきた、宿に泊まる金がないファンをホテルの窓からこっそり入れて無理やり泊めてあげたとか。ダメなとこももちろん沢山ある人なんですけど、ジョーみたいな人間になりたいなあっていう風に思ったことはありますね。
※5 The Clashのギターボーカル。
<The Clash / I Fought the Law>
奈部川:人間ぽいじゃん?
タイラ:そうなんですよね。
奈部川:彼らがツアー中にチケット買えない子とか買いそびれた子を裏口の窓からガンガン会場に入れちゃってる映像が残っていて。で、大人になって冷静に考えると色んな人に迷惑かかるし怒られるよなぁって思うんだけど、その映像を俺が10代の時に見た時はそこまで考えなかったんだよね。ただただ「かっけー!」って。で、なんかその初期衝動みたいなものをずっと大事にしたくて。大人になるとそこに色んな理由がついてダメにしちゃうんだけど、俺はちょっとその理由を付けたくない。それをプリミティブなものとして大事にしていきたいし、まずそこから物事を考えて発信したいとずっと思ってて。
タイラ:まあいわゆるゴージャスな「ロックスター」の価値観とかとは違うってことですよね。
奈部川:そうだね。俺にはパンクのそれが美しく見えちゃって。美しかったしきれいだったから。汚いんだけど本当は…でもきれいに見えて美しく見えて、その中に自分の人生をずっと置きたいというか。だからいまだにその価値観でずっと来てるっていう。
タイラ:でもそれはATATAのツアーでも体現されていますよね。例えば今のツアーみたいに無料でやりますとか、そのツアーで一番最初にDVDを売りますとか…あとはブログも見ましたけど、前のワンマンのチケットを買ったのに都合で来れなかった人は半券持ってきてくれたらそのDVDをあげるよ(※6)、とか。あぁいうところはその精神性から来てるってことですよね?
※6 ATATAの2016年9月22日のワンマンのチケットを買ったのに何らかの理由で来れなかった人のために、その日の半券付きのチケット提示でその日のライブDVDがプレゼントされている。(ATATA Blog「ticket to ride」http://atataweb.com/ticket-to-ride/)
<ATATA Live Documentary DVD『20160922』Trailer>
奈部川:多分結局はそういうのも自分の原体験から来てるんだと思う。
タイラ:ATATAの今までの活動を見てると、フリーライブとかはわかりやすいですけど、チケット買ってくれた人にチケット分以上絶対に返すというか、施すぞっていう気持ちがめちゃくちゃあるなあと思っていて。そこは自分が想像するジョーがやってきたことにすごく通じるなぁという気がしますね。
奈部川:ちょっとでもなれていたらいいんだけどね。自分の考え的に精神的な支柱っていうのが2本あって。まず大きくジョー・ストラマー。でも、まあジョー・ストラマーはすごくアティチュードの人だから、さっきも話した通り穴もいっぱいあるわけよ。そこを補完するっていう意味で「じゃあ具体的にどうするの?」って、より論理的にどう説明するかって考えた時に、俺にはイアン・マッケイ(※7)がいて。実務的にはすごくイアン・マッケイ的に考えることがある。
※7 ハードコアパンクバンドMINOR THREAT、Fugaziのメンバーであり、ワシントンのインディーレーベル「Dischord Records」のオーナー。DIY精神を持ってハードコアシーンを形作った一人。
<Fugazi / Waiting Room>
タイラ:確かにハードコアがあぁいうちゃんとした形になったのはイアン・マッケイの功績は大きいですもんね。
奈部川:常に自分の中でその二本の物差しがあって、それは大きいかも。
※後編に続く
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