情熱とアイディアを持って「生活」と「音楽」を両立させている人にフォーカスを当てて話を聞いていく対談連載「生活と音楽」。
第6回目となる今回はカメラマン西槇太一さんのお話を聞いた。
前編では西槇さんの音楽遍歴からバンドマン時代、そしてマネージャー時代の話を中心に聞いた。いよいよ後編では現在のカメラマン西槇太一がどのようにして生まれていったのか、充実感を得ていたマネージャーという仕事を辞めて、カメラマンという職業を目指すことになった背景を聞く。
普通ではなかなか考えられないような意外過ぎる転身はどのように実現したのだろうか。
Interview & Text:タイラダイスケ(FREE THROW)Photo:ともまつりか
大きな決断の背中を押してくれた奥さんの一言
タイラダイスケ(以下タイラ):前編では西槇さんのバンドマン時代の話とマネージャー時代の話を中心にお伺いしたのですが、後編では今の西槇さんに通じるカメラマンになる時のお話も聞かせてください。マネージャーっていう仕事は大変なこともありつつ、充実感もありつつっていう話でしたが、そのマネージャーという仕事を辞めようと思ったのは何かきっかけがあったんですか?
西槇太一(以下西槇):なんか、今後この音楽業界で自分がマネージャーとして50歳、60歳までやってくビジョンが見えないなあっていうのがちょっとあって。
タイラ:それは体力的なこととか?
西槇:うーん、もう単純に想像が出来ないなぁっていうのがあったんですよね。アーティストが音楽活動を何かしらの理由で続けられなくなる可能性もある訳で。だからずっとは出来ないかも?と思った時に、手に職じゃないけど、なにか持ってないとやっぱ食べていけなくなるんじゃないのかなって思って。
タイラ:ちょっと余談ですけど、33歳の時にはもうご結婚されてますよね?
西槇:結婚していて、子供も1歳半とか1歳ちょっとぐらい。
タイラ:じゃあマネージャーの仕事を辞めるっていうのは、家庭の状況的にも大きい決断ですよね?自分だけの体じゃないというか。
西槇:いやもうなかなか…だからね…狂ってますよね(笑)。でもそう思ったその日に社長に話しをして。
タイラ:その日に!?
西槇:社長と元々別件で話す予定があったんですが、ぽろっと「実は…」みたいな話しをして。でもその時点では家族にちゃんと言ってなかったし、色んな人にも相談したいから「ちょっと一週間時間もらっても良いですか?」って。実は次の仕事は写真で行こうっていうのは何となく決めていて、カメラマンになるっていう前提で色んな人と話しをしたんです。奥さんだったり、マネジメント時代にお世話になった人だったり、知り合いのカメラマンだったりとかに相談をするっていう一週間。
タイラ:「僕、これからカメラマンになろうと思ってるんですけど、どう思いますか?」って相談をしていくわけですよね?皆さんどういう反応でしたか?
西槇:みんな「はぁ!?」っていう感じで(笑)。でもほとんどの人が「やりたいなら今はチャレンジするべきだ。」と背中を押してくれたというか。それで本気でカメラマンをやりたいなら撮影スタジオにまずは入ったほうがいいんじゃないとアドバイスを受けたりしたんで、完全に標準がスタジオになっていって。
タイラ:奥さんの反応とかどうだったんですか?
西槇:奥さんに「マネージャーやめてカメラマンになろうと思っているんだけどどう思う?」って言ったら、「お金は私が稼ぐからいいよ」って本当に即答で言ってくれて。めっちゃいい妻(笑)。
タイラ:それはすごい奥さんですね!(笑)
西槇:だからそれで家に対してとか、家庭に対しての後ろめたさが全部なくなったから、もう真っすぐいけた。
タイラ:逆にそんなこと言われたら「死に物狂いで稼いで来なきゃやばい」ってなりますよね。
西槇:本当にそう。
タイラ:で、色々な人と話をして考えた1週間の後に社長さんにお話ししたんですか?
西槇:そうですね。辞めますって。
カメラマン西槇太一のはじまり
タイラ:それでいよいよ現在に繋がるカメラマンという道を歩んでいくと思うんですが、最初はどういう感じでスタートしたんでしょうか?
西槇:まずは自分が今まで学んでこなかったスタジオワークを学ぶために撮影スタジオで働こうと思って。
タイラ:スタジオでの勤務は33歳から何年ぐらい?
西槇:いやもうそれは短くて8ヶ月くらい。
タイラ:短期集中して、こういうやり方があるんだなっていうのを見て盗むというか?
西槇:そのスタジオはなかなか厳しいところだったんですけど、でも厳しいからこそすごいカメラマンの人たちが利用してくれていたので、いきなりトップクラスの現場を沢山経験できたんです。その時間は自分にとっては本当にもう「宝」というか。スタジオには感謝しかないです。
タイラ:そのスタジオでの8ヶ月で働きながら色々な現場を見て、いよいよ自分でカメラマンとしてやっていくぞっていうタイミングになるわけですよね?出だしは結構順調だったんですか?
西槇:「カメラマンやります」ってなってから、とりあえずマネージメントの時にお世話になっていた方とか、知っている人に片っ端から連絡して、「お茶しましょう」って(笑)。それで人に会いに行って自分の写真を見てもらうっていうのを本当に連日やりましたね。そういう事をいつでもやれる様に、スタジオ辞めるまでにちゃんと人に見せられるブックっていうのを作っていたんですよ。3、4か月ぐらいはそれをずっと続けていました。
タイラ:その3、4か月ほぼ毎日人に会う中で、「今度カメラマンが必要な現場あるから西槇さんやってくれませんか?」みたいな話しがちょこちょこ来たって感じですか?
西槇:そうですね。「最近新人やっているんでちょっと撮ってみます?」みたいなのとか、そういうのがきっかけでちょいちょい仕事を頂いてって感じでした。
カメラマンとして転機になった仕事
タイラ:なるほど。自分は西槇さんの現状をすごく詳しく知ってるわけじゃないんですけど、SNSとかを通じたイメージでは色んな所を飛び回ってめちゃくちゃ忙しくされているイメージがあるんですよね。なにかカメラマンとして転機になった仕事とかあるんですか?
西槇:カメラマンになった年に頂いた仕事なんですが、LUNA SEAさん主催のLUNATIC FEST.(※1)っていうフェスがあって。そこにオフィシャルカメラマンで入らせてもらったんですが、そのフェスのドキュメント的な本(※2)も作りたいということで、その本の写真も含めた形で仕事を頂いて。
※1 LUNA SEA 主催のフェスとして、2015年6月27日、28日の2日間に渡って幕張メッセで開催され6万人を動員。2018年6月23日(土)、24日(日)にも幕張メッセで、第2弾となる「LUNATIC FEST. 2018」開催が発表されている。
※2 2015年11月24日にリットーミュージックから発売になったのLUNATIC FEST. OFFICIAL DOCUMENT BOOK。(https://www.rittor-music.co.jp/lunasea/book/)
<25th ANNIVERSARY 最終章 -Epilogue- “LUNATIC FEST.” TEASER 20150314>
タイラ:それはものすごく大きい仕事ですね。
西槇:そう、でかい仕事なんですよ。それでライブを撮りつつ、バックステージもしっかり撮って、後日それぞれのメンバーの対談とかも撮ったりして。
タイラ:じゃあそこでカメラマンとしてのキャリアがいきなり出来たというか?
西槇:多分カメラマンになったのが2015年の2月で、その仕事はその年の夏とかですから、結構早かったですね。
タイラ:それは早いですね!半年弱くらいで。
西槇:ありがたい事に。でも相手が超大物じゃないですか?(笑)
タイラ:そりゃもうめちゃくちゃ大物ですよね(笑)。
西槇:そう。で、そのメンバーの方たちともちろん対峙しなきゃいけないし、現場の緊張感もすごくあって。ですけど、なんとか一通り出来たんすですよね。それがものすごい自信になったというか、結構自分の中で転機かもしれません。
タイラ:大きい仕事でも自分がしっかりやれるっていう自信がついたんですね。そこでやっぱり「自分はカメラマンとしてやっていけるぞ!」っていう確信が持てたという感じですか?
西槇:そう。そこで「これでいいのかな?」っていうのが「これでいいんだ!」っていうのに変わったんです。ちゃんとプロの人たちが自分の写真にOKを出してくれたっていうのが、自信になりましたし、より現場の立ち振る舞いとかに対してドッシリとできるようになったというか。その仕事を経験して(そういう部分が)本当にバーンって変わって、より自信持って一個一個の現場に立ち会える、向かえるようになったので。
タイラ:西槇さんにとって色々な意味で大きかった仕事なんですね。自分が知る限りはカメラマンとしても音楽に関わる現場はすごく多いと思うんですが、やっぱりマネージャーとしての経験や人との繋がりがそこにも活きていると思いますか?
西槇:もちろんそうですね。音楽の現場は圧倒的に多いです。レコーディングでもライブでも、音楽の現場は色々繊細な部分も多いじゃないですか。だからこそ、その現場現場に流儀があって、音楽の世界、裏側を知ってないと撮れない写真っていうのが沢山あるんです。そういう点では元々マネジメントとしてある程度裏側を見せてもらっていた身なので、現場で一個一個説明してもらわなくても、雰囲気がわかるというか。
タイラ:その場その場で空気を読んで「あ、今日はこういう感じですね、わかりました」みたいなことですよね。確かにそれを分かってくれるのはクライアント側としては安心感があってお願いしやすいと思います。
西槇:西槇なら話しが早いよねっていう感じだと思います。
西槇さんにとっての音楽とカメラ
タイラ:ではいよいよ最後の話になってきたんですが、西槇さんの音楽に接する状況ってその都度変わってきましたよね?元々はバンドマン、裏方としてバンドのマネジメント、それで今はカメラマンっていう。音楽との距離感が変わってきた中で、今のカメラマン西槇さんにとって音楽ってどういうものなんですか?
西槇:音楽はめっちゃ好きですね。未だにめっちゃ聴きますし、ライブもたくさん見ますし。撮った人はやっぱり好きになりますし。
タイラ:逆に音楽を抜いて、カメラや写真って西槇さんにとってどういうものですか?
西槇:何なんすかね、写真…うーん…でも何か、写真を撮るっていうこと自体は、あんまり「仕事」っていう感覚が僕なくて。
タイラ:元々趣味としても好きだったんですもんね。
西槇:そうっすね。好きなことを突き詰めているって感じがあって、あんまり自分の中では「仕事として撮っています」っていう感覚はないんですよね。昔から趣味で撮っている感じと今って本当に変わってなくて。究極の趣味だなとは思ってますけど。
タイラ:話が遡っちゃうんですけど、音楽は仕事に出来ないなと最初から何となく思っていたって仰ってたじゃないですか。で、カメラももちろん最初は趣味で、でもそれは仕事に出来るなって思ったわけですよね?まぁ、家族も含め(仕事に)しなきゃいけないっていう状況もありつつだとは思うのですが、そこの差って何かあったんですか?
西槇:そうっすねぇ…言い方がすごく難しいんですけど、色んな人の写真を沢山見ていて、「こう撮ったらかっこよくなるな」とか、撮り方を研究するのが昔からすごく好きで。マネージャー時代に撮ったライブ写真一つとっても、自分の写真と媒体に出ている写真を見比べてどこがどう違うかとか、そこで気が付いたことを実践して撮ったらこうなった、とかっていうのを本当に阿保みたいにやっていて。「こう撮ったらこうかっこよく撮れる」っていうのが何となく感覚として既にあったんです。
タイラ:じゃあカメラマンになる前のマネージャーの段階で、感覚や経験の蓄積みたいなものがあったから少し自信があったっていうことですかね。
西槇:そうですね。それで、生業としてお金を稼いでいく上で可能性が一番高いのは何かなって色々考えたらやっぱり写真だな、っていう所に行きついたんです。
タイラ:なるほど。それはやっぱりその裏付けが生きていますよね。じゃあ最後の質問です。今後の目標だったりとか、カメラマンとしての夢だったりとか、そういうのがあれば教えて頂けますか?
西槇:今後の目標だと、やっぱり色んな人と一緒に現場を作るということですね。僕には常に誰かアシスタントがいるわけでもないですし、基本的には一人でやっていることが多いんですけど、現場によってはデザイナーさんと一緒にやらせてもらったりすることも少しずつ増えて来て、やっぱり誰かと一緒に作業する時の、足し算なのか掛け算なのか、思いもよらないところで数字が跳ね上がるというか写真が跳ね上がる瞬間がやっぱりあるんで。自分一人の限界値っていうのはここ最近すごい感じているので、色んな人と面白いことやりたいなっていうのが当面の目標ですかね。
タイラ:良い化学反応が起こる現場を増やすというか。
西槇:そうですね。そしたらまた面白い写真が撮れたり、面白い出会いがあったりすると思うんで。僕なかなか人見知りなんですけど(笑)。でもやっぱり、そういうのを一個ずつちゃんとやっていきたいなとは。
タイラ:人見知りだと知ると、3~4カ月毎日人に会ったっていうエピソードは尚更すごいっすね(笑)。
西槇:あははは(笑)。
タイラ:まぁ好きな人達でしょうけど(笑)。でもドキドキはしますもんね。
西槇:しちゃうんすよねぇ(笑)。
あとがき
西槇さんと自分は同い年。そういう部分も含めて以前からどこか親近感があった。
バンドマンからマネージャーになるという流れは他にも何人か思いつくけれど、
そこからさらにカメラマンになった、という話は西槇さん以外に聞いたことが無い。
だからこそ、その決断と行動に関する話を聞きたいなと思った今回の対談。
話を聞いた後に思うのは、彼も今までのインタビューで聴いてきた人たち同様、最大の動機は「好き」という気持ちだという事。
ギターが好きだからバンドを組み、大好きなバンドだから彼らをサポートするマネージャーとなり、
今は昔からずっと好きだったカメラを持ち全国を飛び回る生活を送る西槇さん。
その「好き」を何かしらの形にする歩みを止めなかった努力(とは西槇さんは思っていないような気もするけれど)も見逃すことは出来ない。
一見バラバラに見える彼のキャリアは、ある種の必然的な連続性と親和性をもって彼の血肉になっている。それぞれが一つも無駄になっていないという事実はこれを読んでいる自分達の勇気にもなるだろう。
この連載では基本はバンドを続けている人に話を聞こうと思っているのだけれど、西槇さんはバンドを辞めた人。
だけれど、辞めたからこそ彼は彼にしかできない輝き方を見つけた。
「人前で目立つのが苦手」で「人見知り」と自らを語ってくれた西槇さんだからこそ、被写体の輝きに敏感になれるのかもしれない。
これも「生活」と「音楽」の形の一つ。
選択肢は一つだけじゃない、という事を西槇さんの話の端々から感じることが出来たし、
この連載では引き続き色々な形で提示が出来たら、と思っている。
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