こんにちは。映像演出家スミスです。
どこまでも続くガードレールを見るのが好きです。ガードレールの種があって、水をやったらすくすくと育ったわけではなく、誰かがここにガードレールを設置したんだなと思うと、とても不思議な気持ちになる。山の奥の長いカーブにもガードレールが設置されていて、生まれて初めて通った道に、先駆者がいたことを指し示している。すごいと思いませんか、なんでここに車で来ること知ってたの?的な驚きがある。そしてそれは今日も、すくすくと伸びていっているのだから。
映像制作をしていると、いろんな作法があることに気がついてくる。編集されるという前提で話をすすめていくと、観ている人にはなるべく編集が気づかれない方が気持ちが良い。右と左に立って会話している人を編集したら、ちゃんと向き合った方向の顔を撮影した方がわかりやすいし、追いかけっこしている映像では、追われている人と追っている人は同じ方向に進んでいる方が見やすい。いわゆるイマジナリーラインという作法のひとつである。同じ場所にいるのならば、ライティングは同じ方が良いし、(当たり前だが、一人が夜で一人が昼だと同じに見えない)太陽が雲に入ったら、陽が出るまでまったりして、そういうことって撮影時にはちゃんとコントロールしているのである。場所が変われば、どんな様子かわかるようなカットが入っていて、何人の人がいるかもちゃんと伝えてくれる。楽しいのか苦しいのかは、表情を抜くことで理解できる。とにかくほとんどのカットが説明のために撮られているのだ。
じゃあ演出家は、ちゃんと説明することに腐心しているのかといったら、そうではない。その逆である。いかに説明をしないか、もしくは説明を感じさせないかを考えいているのである。人間は不思議なもので、理解したら、そこでおしまいになってしまう。常に不可解なもので人の興味を惹きつけ続けなくてはならないのだ。
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