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【インタビュー】小袋成彬 『分離派の夏』 | 「喪の仕事」の果てで歌う

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4月にメジャーデビューアルバム『分離派の夏』 をリリースすると発表した小袋成彬。彼はユニットN.O.R.K.のメンバーとして音楽シーンに登場、そのユニットの稼働休止後はレーベルTokyo Recordingsのオーナーとして、様々なアーティストに楽曲を提供するプロデューサーとしてメインで活動を行ってきた。

小袋と以前喋った時は、音楽を理知的に分析でき、さらにそこに商業ベースの思考も備わっている、まさにプロデューサーとして必要なスキルを持っている人物であるという印象があったので、その選択はとても賢明な判断のように思え、今後どのようなアーティストを手がけていくのかという期待を持っていた。

しかし4月にメジャーデビューアルバムをリリースすると聞いた時に、一番最初に思ったのは、なぜ彼はまた自ら歌うことを選んだのだろうか?という問いだった。その問いを最初にぶつけてみた。

インタビュー・構成 : 和田哲郎

写真 : 横山純

– これまでにN.O.R.K.の時と、Tokyo Recordingsのオーナーとしても会って話す機会があって、今回はソロアーティストとして話を聞くわけなんですが、自分でもう一度歌ってみようと思ったのは、宇多田さんのセッションに参加したことが大きかったですか?

小袋成彬 – 直接的なきっかけというのはなくて、全てが緩やかに歌う方向に向かってはいたんですけど、もちろん宇多田さんとのセッションも大きかったですね。

– なるほど。Tokyo Recordingsをやっていた時の小袋さんはアーティストというよりも、経営者的な視点で音楽業界を捉えていた印象だったんですよね。

小袋成彬 – レーベルをやっていた時は、基本的にクライアントがいる仕事だったんですよね。プロデュースワークが主なレーベルだったので、どちらかというとアーティストよりレーベルのA&Rの人と話す機会が多かったんですね。勿論A&Rの方たちは音楽を売りたくて、「売れる音楽を作ってくれ」って発注してくるわけです。僕も今のポップスないしハウスっぽいものを聴きながら取り入れてたんですけど、段々音楽ってそうじゃないんじゃないかってすごい思い始めたんですよね。僕はビッグヒットがないですし、音楽を売ることと作ることは全く別物なんです。

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小袋成彬 – 「いい音楽が売れない」っていうのはそもそものロジックが間違っていて、いい音楽があるかどうかもわからないですけど、音楽を作ることと、売ることは全く切り離して考えなければいけない。でも切り離せないのがビジネスであって、そうなった時に僕は売ることを諦めようと思ったんですよ。売ってお金がすごく入ってきて、車を買うっていうその未来に、人生の大義を全く見出せなくなってしまって。それよりも、「今なんで鳥が鳴いたんだろ」と思える方が、よっぽど豊かな人生なんだって、なんとなく気付き始めてしまって。そうすると今までの自分の経験が突然意味を帯びてくるんですよね。「なんでおれはあの時泣いてしまったんだろう」とか、「あの時あんなことを言ってしまったんだろう」って、出来事を自分の中で再定義する作業を経て、そうすると歌わなければいけないことが見えてきたっていう流れですね。

– 歌わなければいけないことっていうのは、よりパーソナルなことだったんですね。アルバムの中でまず印象的なのがスキットとして友人との会話と、友人の独白が使用されていますよね。あの発言が小袋さんの心境とも近いものがあるんじゃないかなと。

小袋成彬 – そうですね、ありますね。元々アルバムの中に語りを入れるっていうイメージの着想は、YMOの『Service』っていうレコードで、三宅裕司さんがショートコントをやっているんですよ。それが脳裏にこびりついてて、そしたら3年前にリリースされたKendrick Lamarの『To Pimp a Butterfly』で2 PacとKendrickが擬似会話をしてたじゃないですか。あれに僕は大いなる羨望があって、ああいうのをやるべきだなって思っていたら、八木くんていう1人目の人に会って、「僕は今こういう作品を作ってるんだ」って言ったら、彼は「それって喪の仕事だよね」って話を始めたから、「ちょっと待って、ちょっと録らせてくれ」って言って録ったんですよ。

– その会話を採用するというのも、個人的な経験が出ている作品という証明かなと思いました。あと地名が結構出てくるなと思ったんですよね。それは自分が何か大きな経験をした場所の記憶が表出しているということなんですかね?

小袋成彬 – だと思いますね。より具体化してるんだと思います。

– あと歌詞にエピソード的なものが挿入されていますよね、もちろん歌になっている時点で100%真実というのはないんですが、自分が経験したことが歌われているんですか?

小袋成彬 – まさに100%真実だし、100%嘘でもあって、八木くんの言葉を借りれば、僕はアルバムを作るのを「喪の仕事」だと思っていて、「喪の仕事」は元はフロイトの「mourning work」という術語からなんですね。フロイトは「喪の仕事」を4つに分類していて、他3つの詳しい定義は忘れてしまったんですけど、4つめを再配置としたんですね。例えば、身近な人が亡くなった時に、故人がトマトが好きで、自分は食べられなかったんだけど突然食べられるようになるっていうことがあるらしくて、それは物理的に喪ってしまった悲しみを消すために、故人を内在化させるためにしている作業なんですね。亡くなった人が愛していたレコードを突然聴くようになったとかもそうだと思うんですけど、再解釈して自分に入り込むんですね。その作業をアルバム制作中にひたすら行っていたことが、エピソードや地名には表出してるんだなと思ってますね。もちろん再配置なので、真実だったはずのものが、自分なりの脚色がついて歌になっているというパターンが、もしかしたらあるかもしれない。作ってる間は結構没頭しているんで、歌になっている出来事が真実かもよくわからないんですよね。ただ自分の中にこびりついた経験であって、他人の体験ではないっていうのは、間違いないですね。

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– 喪の仕事というのは無意識的なものに結びついてますよね。普段は忘れてるんだけど、書くことによって忘れていたことだったり無意識下にあったことが出てくる。

小袋成彬 –  まさにそういうことだと思いますね。

– 曲を書く時は没頭していると言ってましたけど、どういう状態で書いてたんですか?

小袋成彬 – 何か明確な目的があって曲を書くことは一切ないんですよ。ああいう曲を書きたいとか、踊れる曲を書きたいとか、ここで悲しい曲を入れたいとかはゼロで。また人の言葉を借りると、蓮實重彦さんが三島由紀夫賞を受賞した時の会見で、何かを書きたいと思ったことはなくて【専ら知的な操作】であるとおっしゃっていて。まさにそれで、僕も霞のような分からないものを掴むための、知的な操作として曲を実体化していく。自分が得た知見や知識をフルに動員して、顕在化させていく作業に近かったのかなと。だから何か書きたいと思ったわけではなく、何か降りてきたものを専ら知的・修辞的な操作として掴んでいったっていう状態なので、没頭してるんですよね。これはなんだろう、言葉にしたらこうだ、でも音楽にしたらこうだって感じで、常に色んな側面を考えながら作っていきましたね。

– 確かに聴いていて、1曲の中にも様々な要素が入っているし、曲の並びとかもパーソナルな並びになっている気がするので、コンセプトありきの作品とは思わないですね。

小袋成彬 – 僕は美しい芸術は一筆書きだと、なんとなく思っているので、そういうものに成りえたのは自分では喜ばしいなと思いますね。

– 音楽制作の部分について話を聞きたいんですが、宇多田ヒカルさんがプロデュースとなっていて、フィーチャリングやコーラスでも参加していますね。どういうやり取りをしながら作っていったんですか?

小袋成彬 – お互い基本的には自分1人で完結できちゃうので、具体的な会話についてはあまり記憶してないんですよね。プロデューサーにはコントロールしたがる人としたがらない人の2タイプいると思っていて、僕はプロデュースワークをしていた時は、どちからかというとしたがる方だったんですけど、彼女はすごく僕に任せてくれるタイプ。Rick Rubinのこと知らないけど、僕が思うRick Rubin像に近い(笑)具体的に「ここの歌詞がどうだ」とかは、あまりないんですけど、彼女が培ってきた日本のポップスを支えた修辞的な技法は色々教わりましたね。”Lonely One feat. 宇多田ヒカル”は僕が作っていく過程で、僕以外の声を入れなければいけない気がしていて。あの曲が核になっているというのはなんとなく思っていたので、それが独りよがりではないというのを示す視点があるべきだと思ってお願いして。

– 宇多田さんのバースが送られてきた時はいかがでした?

小袋成彬 – 最初は何を言っているかがわからなかったんですよ。何を指しているのかもわからなかったし、未だに噛み砕けないところがあって、でもそれはそれでいいような気がしていて。もしかすると僕のことを歌っているのかもしれないし、でも上目遣いのカメラ目線とか全然自覚ないし、どうなんだろうな何かそこにあったんだろうなと思って。

– 歌い方もこれまでの宇多田さんにはないものでしたけど、あれも自然に?

小袋成彬 – いやあれは僕が指示をしたんですよ。僕以外のボーカルで一番盛り上がるっていうダイナミクスをなんとなく感じていて、だから「こういう歌い方をしてほしい」っていうのはお願いしてましたね。それはイメージ通りでしたね、素晴らしい歌がきたなと。

– “Lonely One feat. 宇多田ヒカル”が核になるっていうのは、どういう所で思ったんですか?

小袋成彬 – えっと、アルバムを作り始めた時に、ボヤッとした孤独感を紐解く作業があって。それをどう表現しなければいけないのかっていうのを考えながら作った曲なんですよ。だから割と早い段階ではできていて、あの曲は1つの個人的なエピソードが元にはなっているんですが、あれが出来てそれが昇華されたことで、僕が昇華できなかった他のエピソードも昇華できたので、僕にとって非常に重要な楽曲なんだろうなと思ったんですよね。

– ボヤッとした孤独感は作品全体に通底しているのかなと思います。ボヤッとしたというのは社会から隔絶しているわけではないんだけど、孤独を感じるということだと思うんですが、いつ頃から感じていたことですか?

小袋成彬 – まさにそうですね。段々と小学生時代くらいから、ちょっと人と違うなとかは感じていて、ただそれとは別のパーソナリティーとして、親のおかげで社会性が備わっていたので、だから上手く馴染めていたんですよね。自分の本性と現在の姿の葛藤の埋め合わせができずに、大人になってしまったみたいなところはありますね。それは僕だけじゃないと思うんですよね。僕だけがそういう障害があって、それを感じてしまっているわけではなくて、あくまで一般的な事柄で、ただより強く感じているだけだと思うんですよね。

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– なるほど。あと”Lonely One feat. 宇多田ヒカル”でいうと、様々なタイプのドラムが鳴っていますよね。あれはどのように?

小袋成彬 – あれはまさに専ら知的な操作で、僕にメロディーとなんとなくの進行のイメージはあったんですけど、そこにドラムを入れるっていう発想が全くなくて、共作に入っているYaffleの小島くんに、「こういう表現をしたいからビートを作ってくれ」と依頼したものに対して、僕がさらにアレンジをしてって作業で。結局ドチャドチャになったんですけど。

– 今回の作品は色々な要素が1曲の中で入っているものが多いですが、それは誰かと一緒に作ったりしたことが大きいですか?

小袋成彬 – 共作はこの曲と”GOODBOY”くらいしかなくて、あとはほぼ自分で完結しているものなんですね。もちろん通底したグルーヴはあるんですけど、それぞれの曲にモチーフはあって、例えば2曲目の”Game”は、クラシックのコラールをモチーフにしているので、そういう作りになっているんですよね。それぞれコンセプトを設けたわけじゃないんですけど、知的な作業として音楽的なオブジェを置いているっていうのはありますね。すごく何かに似通った曲やビートがすごく似ている曲もあったりするんですが、それにたいして僕が模倣になりきらずに自分のものとするために操作を行いましたね。ニューグローヴ世界音楽辞典のラヴェルの項目に、「彼はピアノの前に立たないと曲が作れない、もしくは人の曲を弾かないとインスピレーションを受けない」と書いてあるんですけど、僕もまさにそれで、人の曲を聴いたり、絵画を観たり、あとは誰かの会話を聞いたりして、そういうものから着想していく。だから自然現象とかノスタルジアみたいなものには全くインスピレーションは感じなくて、だからああいう楽曲群になったのかなと思います。元々音楽的なオブジェがあって、それを個人的な体験にひも付けて味付けしていったという作り方ですね。

– 引用だけではなくて、自分のものにしているというのは日本語の歌い方の部分が大きいのかなと思いました。

小袋成彬 – 日本語でやりたいと思ってはなかったんですけど、ただやっぱり自分が出てくる言語と、考える言語が日本語しかないからってことなんですよね。でも日本語でしか出ないってわかった時に、英語なら16分の裏で入ったりとかできるけど、日本語だとそれが中々難しかったんですけど、しっかり考えながらハメていくっていうのは、上手くやった感じだと思いますね。詞と曲はモノによって、どちらが先に出てくるかは違うんですけど、同時に出てきた場合が非常に満足がいく出来になるっていうパターンはありますけど。同時に出てきた曲は”Daydreaming in Guam”、あれは完璧に同時に出てきましたね。何かわからないけど、ポンって録音ボタンを押したら、もちろん完璧な歌詞ではなかったですけど、「夏に燃えた君」とか「なぜ親父の誕生日に」って歌詞はスラッと出てきて、「お、なんか出てきた」と思って。それにたいして色んな操作を加えた感じですね。あとは”Selfish”の「もう君はわからなくていい」も、ポッと出てきたもので、それにたいして肉付けしていったものですね。

– 歌詞でいうと、「僕」がいて、「君」と名指される存在が出てくるパターンが多いですが、「君」というのはそれぞれ違う人のことを指していますか?

小袋成彬 – そうですね、全員違う「君」だと思いますね。突然曖昧になることもあるんですよ、何のために歌っていたんだっけという場合もありましたね。その曲を歌われている「君」に届けたいという思いはなくて、ただ自分の中で昇華できない出来事が、対人関係のものであることが多いというだけですね。だから社会に対して、何か理想を掲げて、そこに向かっていくとか、社会に不満があるという理由で音楽は全く作らないので。だから自ずと「あいつらは言う」とか三人称は一切出てこないんですよね。

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– 確かに第三者を想定した歌詞はなかったですね。自分で聴いていてもそういう音楽は好きじゃないですか?

小袋成彬 – そうですね、歌詞でいえばそういうものは芸術としてあまり好きじゃないですね。

– Spotifyのプレイリストを見ても、幅広い音楽がチョイスされてますが、制作中によく聴いていた曲はありますか?

小袋成彬 – 普段から様々な曲を聴いているので、あまり特定のものはないんですけど、自分の中で肝になっていたのはクラシック音楽ですね。N.O.R.K.の時からそうなんですけど、N.O.R.K.はトラックは一切関わっていなくて、僕は楽典的な素養が全くないんで楽譜も読めないですし、オーケストレーションも書けないんですよ。なんですけどクラシックを友人の影響から聴くようになって。N.O.R.K.の相方も聴いてたし、Yaffleの小島くんもオーケストレーションを表面的にですけど教えてくれて、それにすごい傾倒していて。さっきのコラールもそうですし、”門出”という曲で「ウーンッ」って入るストリングスとかは、現代音楽家のクセナキスの手法であったりして。それが僕がこれまで知識として持ってなくて、作品の中に表出したものでは相当突飛なものですね。現代音楽的なアプローチをしたかったというのはあるんですよ。自分の頭の中でずっと残っていて、Radioheadの新しいアルバムも、ストリングスをあまり弾かないような技法で表現していて面白いなと思っていて。それは知的な操作の1つの手段としてありましたね。

– 自分の中から出てきたパーソナルなものを知的な操作を加えることで、自分から離れてしまうという葛藤ってありましたか?

小袋成彬 – 作っている間は全くなくて、出した時の序文に書いたように、主観と客観のせめぎ合いを音楽の秩序に放り込んだんですね。語っているのは自分なのか、子供の自分なのか曖昧なまま突き進んでいって、曲が出来た瞬間に完全に自分から離れるんですよね。僕のものではなくなるというのは実感していて。僕は作者と作品は全く別物だと思っていて、作品はすごい良いけど、作者のあいつは嫌いとかあり得る話だと思うんですよね。逆も然りで、そういうものだと思っているんで、自分の間にまとわりついてる間は僕のものなんですけど、生み出して終わったってなると違うものになるので、完成したことにあまり感動もないんですよ。作って聴き直して「はあ、良かった」っていうのはなくて、「なんか、こんなのが出来てる」とかそんな感覚に近いですね。だから離れていく悲しさとかは全くなくて、付きまとっていた地縛霊のようなものが剥がれた爽快感の方が強い気がしますね。油絵と一緒で際限なくできちゃうので、僕は2017年中にこの作品を作るっていう腹積りをしていたんで、それ以降は一切手を加えてないですね。今聴き直して、もう少しああすべきだったというのは意外とあるんですけど、そこまでの自分は全く否定できないので、だから生み出してしまったものとして、あとは放っておくしかないという感じですね。

– 2017年中はずっと作業をしてた?

小袋成彬 – してましたね、友達とも会わずに籠って。

– アルバムを最初に作ろうと思った時と、結果としてできたものは想定とは違いましたか?

小袋成彬 – そもそも作らなきゃいけないとは思ってたんですけど、何を作りたいかはハッキリしてなかったんで、「こんなものができたんだ」っていう驚きがありましたね。驚きというよりなんでしょうね、作ることで自分に変化はありましたね。より閉じこもった感じはありますよね、ははは(笑)孤独が深まったかもしれないですねえ。ただ過去の自分ではなくなったという感覚も強くて、レーベルオーナーをしていた時の感覚は一切消えたっていうのはありますね。でもどんな変化があったのかは、僕も咀嚼しきれてないですね。

– まだリリース前ですが、出来上がった作品に対しては批評的な視線も注げますよね。自分の作品はどういうものとして見られると思いますか?

小袋成彬 – それはあまり考えないようにしているんですよね。きっかけはソーシャル上にリリースのニュースが出て、告知のために10分くらい張り付いてたんですけど、魑魅魍魎とした世界だなと悟ってしまって。それ以来一切SNSを見なくなってしまったんですよね。なんですかね、嬉しくもないし悲しくもないんですよね。以前どこかで会ったことのある人とかに「良かった」って言われるのはすごく嬉しいんですが、となるとそうした一般社会からどんどんかけ離れていくんですよね。不思議な話で。もう出てしまったものだから、それ以上に何もないんですよね。ただ作品を通して、前の自分とは全く違う世界が待っていて、それに対しては期待が3で恐怖が7くらいですね。批判されるんじゃないかという恐怖よりも、影響されることへの恐怖ですね。元々関係ないとは思っていたけど、耳には届いてしまうわけだし、それに自分の気持ちが左右されてしまうっていう恐れがあるのは、僕が経験したことがない恐怖なんで。そのへんは宇多田さんは百戦錬磨で20年戦ってきてるわけだけど、僕は心構えと対処法も全くわからないので、それが一番大きいですね。実は期待はあまりないですね。作ってしまった時点で、僕の仕事は終わってしまったと思っているから。元々備わった社交性で、プロモーションはしっかりやりますけど。正直いうとめちゃくちゃ怖いですね(笑)

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Info

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1stアルバム『分離派の夏』
4月25日(水) 発売
通常盤 ESCL-5045
価格 ,778(税抜)

収録曲
01.  042616 @London
02.  Game
03.  E. Primavesi
04.  Daydreaming in Guam
05.  Selfish
06.  101117 @El Camino de Santiago
07.  Summer Reminds Me
08.  GOODBOY
09.  Lonely One feat. 宇多田ヒカル
10.  再会
11.      茗荷谷にて
12.     夏の夢
13.  門出
14.  愛の漸進

Source: FNMNL フェノメナル

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