スポンサーリンク

SWAYが明かすヒップホップ道とその変遷「Def Jamのステージに立つことが夢だった」

スポンサーリンク

DOBERMAN INFINITYやHONEST BOYZ(R)のMC、劇団EXILEのメンバーとして活躍するSWAYが、11月1日(水)発売のシングル「MANZANA」でソロデビューを果たす。しかも、ヒップホップの名門レーベル<Def Jam Recordings>が放つ3組目の日本人アーティストとして。

「Def Jamのステージに立つことが夢だった」と語るSWAYがキャリアをスタートさせたのは16歳、地元・札幌でのことだった。彼が歩んできたヒップホップの道、ソロデビューの裏側、そして10月9日に放映されたAbemaTVの特別企画『SMASH HIT』内で、DJ IZOHとのタッグによって生まれた名曲についても語ってもらった。

――まずは、ソロデビューについてお伺いします。夢だったDef Jamのステージに立つことが決まって、どんな心境でしたか?

話をもらった時は、全然実感がなかったですね。夢のまた夢みたいな話だし、いつなくなってもおかしくない話なんじゃないかって、ちょっと疑ってました。そういうデカい話って実現するまではあまり人に言わないタイプなんですよ、慎重派なので(笑)。最近MV作ったりレコーディングで「Def Jam」って声を入れたりして、ようやく実感が湧いてきた感じですね。

――そもそもの経緯は?

去年、Def Jamから第一弾アーティストとしてデビューしたAK-69さんから、「ソロでもやったらいいのに。それこそDef Jamとかでやれたら面白くなるんじゃない?」っておっしゃって頂いて。ソロでやりたいって気持ちはずっとあったんですが、Def Jamでデビューするっていうのは遠すぎて自分の視野には入ってなかったというか、選択肢に入ってなかったんですよね。AK-69さんの一言で「Def Jamで」「ソロで」って意識するようになったのが、そもそものきっかけですね。

親の目を盗んで部屋でこっそりラップしていた少年時代

――ヒップホップとの出会いは?

実はバスケがきっかけなんです。中学校の時に3年間バスケやっててNBAにハマってたんですけど、特にアレン・アイバーソンが大好きで。とんでもないスキルと身体能力の持ち主でカッコよかったんですけど、『HOOP』っていうバスケ雑誌に「アイバーソンはヒップホップが好きで自身でもラップをやっている」って記事があって、単純に“カッコいい”って思ったんです。音楽だけじゃなくて、服装とか生き方もヒップホップ。当時の俺にしてみたら、アイバーソンはとんでもなくイケてる存在。彼の影響で服装や聴く音楽もガラッと変わって、そこから洋楽のヒップホップを聴くようになりました。(ヒップホップ)をかけながらバスケするのがクールみたいな、それが俺の中学時代です(笑)

――そこから自分でもラップをやりたいと思うようになったんでしょうか?

いえ、そこからダンスにいきました。『めちゃイケ』で岡村(隆史)さんとガレッジセールのゴリさんがブレイクダンスのバトルをやってるのを見て、その翌日からブレイクダンスを始めるっていう(笑)。そのうち他のジャンルのダンスにも興味を持ち始めたんですけど、やっぱりヒップホップの存在が常にありましたね。で、踊るためのトラックを作らないといけないって、ターンテーブルとたくさんのレコードを買いました。レコードにはインスト(収録音源のヴォーカル抜きバージョン)っていうのが収録されているんですけど、それをかけながら、そのトラックに合わせてリリックを書くようになりました。それがラップを始めたきっかけです。

――ダンスを経てラップに辿り着いたんですね。いきなりリリックを書き始めたんですか?

洋楽のヒップホップを聴いてる時はラップしようと思わなかったんですけど、ZeebraさんとかDragon Ashさんとか、当時流行っていた日本語のラップを聴くようになって変わりました。自分も日本語でやってみたいと思うようになったんです。

――当時から人前でラップを披露していましたか?

全く。当時は親にバレないように自分の部屋こもってヘッドフォンして、超小声でラップしてただけ(笑)。それこそ、ブレイクダンスも家で超コソコソやってましたよ。家でドタドタしてる音を聞いて親が駆けつけてきて、「あんた、何してんの!?」って。で、「いや、別に何も」ってトボけるみたいな。

――意外すぎる過去!(笑)。親御さん、厳しかったんですか?

いえ、単純に僕が恥ずかしかっただけなんです。部屋で踊ったりラップしてるなんて知られたら超恥ずかしいって思ってて、ひたすらコソコソしてました。

――では、そのラップでステージに立つようになったきっかけは?

当時よく行ってたSPOT CHECKっていうヒップホップ系の洋服屋があって、そこで仲良くしてた店員さんがラップをやってたんですよ。唯一その人にだけ自分がラップやってることを話してたんですけど、ある日「ライブやるからおいでよ」って誘われて、初めてクラブに行ったんです。いや実際は、クラブっていうかスナックを改造したようなハコでしたけど(笑)。初めてラップを生で見て衝撃を受けてた俺に、その店員さんが「SWAYもやったらいいじゃん」って言ってくれて。それから自分も人前でラップをやるようになりました。

――色々な変遷を経て、ようやくラッパーとしてのデビューしたんですね。

そうですね。その後、その店員さんがきっかけでラッパー、シンガー、DJ、ダンサーが集まる「WILD STYLE」っていうクルーを作ったんですけど、そこにいたのがEXLIEのSHOKICHIとシンガーソングライターの佐藤広大。そのクルーで2ヶ月に1回のペースですすきのでイベントやって、CDを自主で2枚作って出しました。その後、自分でもトラックを作れるようになりたいと思って専門学校へ。学校のスタジオを使わせてもらって、初めてSWAYのアルバムを作ることもできました。音源をたくさんコピーして白盤作ってラベル付けて、TSUTAYAとかに置かせてもらってましたね。

――影響を受けたラッパーはいますか?

Lupe Fiasco(ルーペ・フィアスコ)ですね。テレビで曲を聴いて衝撃を受けて以来、ずっと追っかけています。当時周りではギャングスタ・ラップが流行ってて、「ヒップホップやるにはワルくないといけない」みたいな概念が自分の中にあったんですよね。でもLupeに関しては、本人が日本のアニメとか文化が好きなちょっとオタクで、歌詞の中にもそういったワードがたくさん出てくるんですよ。「友達は銃を持って家を飛び出したけど、俺は1人でずっと漫画を読んでいた」みたいな歌詞があったりとか。でも、それが無茶苦茶カッコいいなって思ったんですよね。ワルぶらなくていいんだ、背伸びしないで書きたいこと書いていいんだって、ちょっと肩の力が抜けたというか、解放された気がしました。

デビューシングルで披露した肉体美の秘密

――デビューシングル「MANZANA」について教えてください。完成した現在の心境は?

デモトラックを聴いた時、トラックの持ってるキャッチーさやパンチ力がすごいなって思いました。サビも気づいたら口ずさんでしまうくらいキャッチーなんです。MVのダンスシーンとかもぜひ見て欲しいですね。ラッパーが歌う歌って、歌なのかラップなのか? みたいな、分からない感じのちょっと独特なものだと思うんですけど、逆に言うと、そこまで歌のスキルに自信のない方でもカラオケでチャレンジしやすいんじゃないかなと(笑)。ぜひ歌ってみてほしいですね!

――MVでの“初脱ぎ”も話題になっていますよね。ジムでかなり鍛えたとか?

昔、般若さんの北海道のクラブツアーに同行させていただいた時に、「USのアーティストはバッキバキにカラダ鍛えてるのに、何でお前らは音楽だけ真似てカラダは真似しないんだ!」っておっしゃってたのが、すごい頭に残ってて。ごもっともだな、俺もちゃんとやらないとって納得したのに、それから何もやってなくて(笑)。いつかやらなきゃって、ずっと頭の片隅で思ってたんです。で、昨年30歳になって20代を振り返ったとき、これまで何をやってこなかったかな? って考えると、やっぱりそこが真っ先に思い当たって。カラダ作りに関しては結構サボってきたんで、そろそろ本腰入れようと。

――意外ですね。LDHのアーティストさんはみんなストイックにカラダを作っているイメージが……。

それよく言われるんですけど、実はアーティストの皆さんって自主でそれぞれやってるんですよ。だから今までそんなにハードにやってきてない僕もいれたわけで(笑)。軽めの(トレーニング)はやっていたんですけど、例えばプロテインを飲んだり、ちゃんと糖質を考えたりとかストイックにやったことがなくて。ラッパーだから脱ぐこともないだろうし、甘んじてたんですよね(笑)。ただ、30歳になってから格闘家の佐藤豪則さんにトレーニングをさせていただいたんですけど、彼のおかげで考え方が変わりました。単純に変わっていく自分のカラダを見るのが嬉しかったし、そういうのがあって、ここまでトレーニングを続けてこれたんです。

――カラダを作るのに、どのくらいかかったんですか?

1年半とかですね。ただ、このMVで脱ぐというのがゴールとしてあったわけではなくて。1年以上やっていく中で披露するタイミングが特になかったので、なんか目標みたいなの欲しいなーと思って、タイミングをうかがってた時にきたのが今回の話。じゃあ、せっかくだから脱いでしまおうかなと(笑)。良いタイミングで脱ぐチャンスがきたって感じだったんです。

『SMASH HIT』でのDJ IZOHとのタッグ、その裏側

――AbemaTVの特別番組『SMASH HIT』でのコラボについて聞かせてください。企画を通してどのようなことを感じましたか?

アーティストの皆さんは、まさに“SMASH HIT”を作るため日々頑張っているとは思うんですけど、「改めて考えるとSMASH HITって何だろう?」みたいなところにぶち当たりましたね。色々と考えさせられました。また、自分的にはソロの解禁も控えていたタイミングだったので、ここで負けたら幸先が悪いし、勝ちを持って華々しくいきたいっていう想いもあって、気合いが入りました。

――タッグを組んだDJ IZOHさんとは旧知の仲だそうですが、元々はどういう絡みだったんでしょうか?

初めてIZOHくんを見たのは16歳の頃。先ほどお話ししたSPOTCHECKの札幌店なんです。当時IZOHくんはその店の池袋店で働いてたんですけど、その時にDMC(世界一のDJを決める大会)のチャンピオンを取って。そのチャンピオンが札幌店に来るっていうタイミングがあったので見に行ったんですよ。で、初めて彼のプレイを見て「やべー!! こんなにカッコいいのか」って。もちろん一方的に俺が見てただけで面識はない状態。ただのヘッズです(笑)。その後、25歳で上京した時にSUPER SONICS(TARO SOUL & DJ IZOHのユニット)でFeat参加させてもらって、初めてちゃんと絡みました。

――今回、コラボレーションしてみていかがでしたか?

ヘッズ時代の俺からしてみると、まさか自分が1対1でIZOHくんとやることなんて考えられないわけだから、嬉しかったですね。ただ、彼の場合は曲を作って終わりじゃなくて、トラックを聴かせてくれた後にそれを持って帰って、彼がジャグリングできるように曲を分解して改造するんですよ。で、あれからこうなりましたって返ってきて、それに対してまたフロウを作ってリリックを組み直すっていう作業が何度か発生しましたね。

――リリックで悩まれたそうですが。

何となく“HAPPY”なテーマがいいよねって、やりたい方向性は見えてたんですけど、パンチラインというか、インパクトのあるキーワードが絶対に欲しかったんです。それを探すのが大変でしたね。トータルの制作期間は2週間ちょっとくらい。リリックに関してはトータル2日くらいかな。でも、漢さんとMINMIさんの映像を見てたら候補曲を何曲もあげてすごい練ってたんで、「やべ、うちら大丈夫かな」っていうプレッシャーは結構ありました(笑)。

――そうして仕上がった楽曲「alright」はどんな作品になりましたか?

伝えたいことは、「知らなくてもいいよ」ってこと。ヒップホップを知ってる人でも知らない人でも、俺らの曲を聴いて「良い曲」って思ってくれたらそれでいいじゃんっていう。「知らなくてもいいから、気持ちいいと思ったら体を揺らして手を上げてね」っていう想いは、ライブやっててもオーディエンスに伝わったんじゃないかな。

――ライブでは、IZOHさんのスクラッチも入るので準備が大変だったのでは?

そうですね。ステージで1個でもミスれば成立しなくなる部分があるので、僕らのステージってすごく完成度を求められるものだったと思うんですよ。リハーサルでもかなり入念に練習しました。IZOHくんなんて、練習しすぎて腰壊した状態でリハに来たこともありましたからね。背中を向けてクロスフェーダーを切るところがあるんですけど、それをやりすぎて腰を痛めてしまったみたいです。アスリートみたいだなって思いました(笑)

――最後に、これから番組を視聴する読者の方に見所をお願いします!

普段、流れてくる音楽がどういう風に/どういう想いで作られているかを垣間見れるのが、この企画の素敵なところ。ラッパーっていうのは特に、生き様が重視されている生き物だと思うんですよ。人間味のある部分や普段見せない表情、音楽に対する真剣な姿勢を知ってもらえる機会だと思います。

僕も16歳の時にIZOHくんのプレイを見て「カッコいい」と思って、自分の中で“IZOHくん像”みたいなものを作ってたところがあるんですけど、今回実際に一緒に音楽を作って意外な一面をたくさん知れました。音楽が先行して出来上がったアーティストのイメージが変わることで、同じ音楽なんだけど、聴き方が変わってきたりもすると思うんです。ドキュメンタリーという形でステージ上の人たちの“オフの部分”も見てもらって、そこを楽しんでもらうっていうのも、この企画の醍醐味かなって思います。

Source: Abema HIPHOP TIMES

スポンサーリンク
スポンサーリンク