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タイラダイスケ(FREE THROW)【生活と音楽 Vol.5】×會田洋平(えるえふる/ core of bells)[前編]「自分が100%やりたいこと、好きなことで生きていく」と誓った人生

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情熱とアイディアを持って「生活」と「音楽」を両立させている人にフォーカスを当てて話を聞いていく対談連載「生活と音楽」。
第5回目となる今回は新代田で愛される飲み屋「えるえふる」のオーナー兼プロデューサーであり、「core of bells」というバンドでも活躍している會田洋平さんに話を聞いた。
お店も音楽も、會田さんの活動の全てには一つの通念があるという事に気が付いた対談だった。そこには自分も含め、これからの生き方のヒントになる言葉が沢山あると思う。

Interview & Text:タイラダイスケ(FREE THROW)Photo:おみそ


「解散なんて僕らくらいのバンドが言ったところで何でもないし!(笑)」

タイラ:まず會田さんが今までやってきたバンド遍歴をお伺いしたいなと思うんですが、一番最初にバンド組んだのって何歳くらいですか?

會田:一番最初は15歳、高一のときですね。中学の同級生でハイスタ(※1)とかを聴いてた友達とコピバンを始めて。それで色々コピーして。

※1 Hi-Standard。日本を代表するメロディックパンクバンド。

タイラ:會田さんて今おいくつでしたっけ?

會田:今33歳です。1984年生まれです。だから、ちょうど中3の夏にハイスタの『Making The Road』がリリースされたんです。あのくらいの頃って、ああいう音楽聴いたらびっくりするじゃないですか。

<Hi-STANDARD / Stay Gold>

タイラ:そうですよね。

會田:で、受験生なのにずっと聴いてました(笑)。

タイラ:あはは!

會田:そんでもって、受験勉強しなきゃいけないのに親に無理言って1万くらいのギター買ってもらって。

タイラ:いわゆるギターマガジンの裏の通販みたいなやつですよね(笑)。

會田:そうそう!そういうやつです。高校に進学してからはベースを始めてバンド組んで、文化祭とか地元のライブハウス・善行Zとかに出て。それで確か高一の終わりくらいに、今もずっとやってるcore of bellsってバンドのギターの瀬木とドラムの池田の3人で新しくバンドを始めて。

タイラ:それがcore of bellsの原型ですか?

會田:う~ん、一応原型ってことになるのかな…。

左から會田洋平(えるえふる/ core of bells)

タイラ:音楽性はcore of bellsとはまた全然違う?

會田:そうですね。3人のときはハイスタとかREACH(※2)のコピーをしてたんでメロコアが中心だったんですけど、core of bellsでやってきた音楽はどちらかと言うとハードコアですからね。まぁでも、いずれにしても「速い」ってことは共通してますね。当時は「速い=かっこいい」っていうわかりやすい基準でしたから!(笑)

※2 REACH。1997年-2003年まで活動をしたパンクロックバンド。現在toeなどで活動する柏倉隆史、美濃隆章がメンバーとして参加していた。

タイラ:なるほど、速くて激しいっていう。その次のバンドはもうcore of bellsですか?

會田:そうですね。卒業したと同時になぜかそのタイミングで同級生だった吉田と、池田の幼馴染の山形の2人が入ってcore of bellsになりました。

タイラ:core of bellsはもう何年になりますか?

會田:2003年の3月結成ですから、15年くらいですかね…。

タイラ:15年!

會田:まぁでも組んですぐに僕が浪人したりとか(笑)、そういうのは色々ありましたけど、でも一応15年ですね。

<core of bells / We Are CxOxB (presnted by CHAOZ CHAOS, 2012)>

タイラ:メンバーの仕事などの関係で活動が大変な時期とかもあったとお伺いしたんですが。

會田:そうですね。メンバーの一人が海外に半年行ったりとかで、その間ライブは出来なかったりはしましたけど、でもずっとSkypeで会議したりはしてました。「(これから)何をしようか?」みたいな。

タイラ:ライブできないからバンド解散だ、とかそういうのはないんですか?

會田:そうですね、考えてないですね…ってか、解散なんて僕らくらいのバンドが言ったところで何でもないし!(笑)

タイラ:いやいや!

會田:でも本当にそういう感じありますよ、「何が解散だよ!」みたいな。なので、どういう状況でもバンドを辞めるってことは考えずに、その時その時で何が出来るかってことを考えてきました。

28歳の誕生日に会社を辞めて無職に。その決断の根底にあった高校時代の体育祭の経験

タイラ:なるほど。これ失礼な言い方になったらあれなんですけど、音楽でずっと飯を食ってきたってわけじゃないじゃないですか。でも音楽はもちろんこだわりを持って続けていて、逆にどうやって今まで生きて来たかというか、飯を食ってきたかみたいな話もお伺いできますか?

會田:僕は大学卒業して一旦サラリーマンになったりしてるので、いわゆる両立っていうか、仕事をやりながら出来る限り土日はバンド活動をして、ということをずっとやってきて。ちゃんと定時に帰れてボーナスも年2回出るような職場だったんで環境としてはとても良くて、このままサラリーマンをやりながらバンドを続けていくことはできるなぁと漠然と思っていたんですけど…。でもなんというか、人生として“突き抜ける”ことは出来ないなと思って、それで確か28歳の誕生日の日に会社辞めて無職になりました(笑)。

タイラ:それは仕事へのフラストレーションみたいなものがあったっていうことですか?それとももっと音楽とかやりたいことに集中できる環境を作りたいと思ったからですか?

會田:職場や仕事がどうしても嫌という辞め方ではなかったので、もっと自分にとって良い環境を作っていこうとした感じですね。さかのぼると、僕とにかく体育祭がめちゃくちゃ好きな高校生だったんですよ。3年間ほとんど体育祭につぎ込んで、それプラス、バンドみたいな。高3の9月に体育祭が終わってその後はみんな受験モードになるんですけど、進学校だったんで大学とか学部とか決めなきゃで、親とか先生とかが「好きなことだけじゃ生活できないぞ」みたいなことを言ってくるわけです。まぁ実際“体育祭”なんて職業はないんだし…(笑)。

會田:でも俺は将来絶対に、「自分が100%やりたいこと、好きなことで生きていくぞ!」ってその時に誓って。それがずっと根底にあったんです。でもサラリーマンをやってる時も、職場の人間関係とかは正直上手くやれちゃうので、バランスよく生活できちゃってて(笑)。

タイラ:はい、それは會田さんの雰囲気を見ていたらわかります(笑)。

會田:年上の方には割と気に入られる方なんで本当に良くしてもらったりで、有給もほぼ希望通り取らせてもらったりとか上手くバランス取ってたんですけど、「このままじゃ100%好きなことだけで生きていくっていうところまではいけないな」って。言い方難しいですけど、このままバンドを続けていくことはできるけど、どっちつかずで中途半端のまま過ぎていくのかもなっていうのがなんとなく見えたんですよね。

タイラ:じゃあ、自分の高校生の頃に思っていた信念とその当時の現状が反してしまってるんじゃないかっていう?

會田:まぁ反するとまではいかないまでも、このままバランス良くバンドを続けながら老後を迎えている自分っていうのも想像できちゃったんで、「そうじゃねぇだろ、俺?」っていう。言葉にするとなんかイタイですけど(笑)。

タイラ:このままでも上手くやれるんだろうけど、やっぱり自分の一番の理想とは違うと思ったんですね。

會田:そうですね。

タイラ:これちょっと話の大筋とはズレちゃうんですけど、何でそんなに体育祭が好きだったんですか?(笑)

會田:あぁ~体育祭は、もう、とにかく楽しくて(笑)。

タイラ:あはは(笑)。

會田:1学年9クラスあった高校だったんですけど、1クラス40人くらいいて、それが縦割りの1、2、3年で1つのチーム、つまり120人くらいのチームが9つあるみたいな体育祭だったんです。で、その中に仮装ダンスがあったんですよ。制限時間10分で、踊りや選曲、人の配置や衣装とか全部自分たちで考えるんです。でっかい5~6メートルもあるようなオブジェを設計から組み立てまでやったり。その内容を3年生が中心になって考えるんですよ。

タイラ:3年生が仕切りで1、2年も協力してやる、みたいな?

會田:そうです。それで1年生の夏休みにダンスを練習しに行ってみたら楽しすぎて、「俺、絶対に体育祭で優勝する!!!」って目覚めちゃって(笑)。ちゃんと1位から9位まで順位がつくんですけど、3年のときリーダーになって優勝したんですよ。それがずっと楽しい体験としてあって。

タイラ:なるほどなるほど。高校生くらいのときから、そういうモノを作ったり、リーダーとして旗を振ってやるぞっていう感じはあったんですね。

會田:そうですね。高校時代は本当に全く勉強しないで(笑)、体育祭で優勝することに頭も体も100%つぎ込んだんで、その3年間を通して、大好きなことを思いっきりやり切る楽しさを知ることができましたね。それで自分主導でイベントをやったりするのが好きというのはあるでしょうね。

28歳からの「空白の3年間」

タイラ:やはり根本的なところは変わってないってことでしょうね。じゃあちょっと話を戻すと28歳のときに、いわゆる脱サラをして。

會田:そうですね、脱サラですね(笑)。そこから正直2~3年くらいはもうどうにもならない状態というか。サラリーマンの時は初台に住んでたんですけど、1Kで家賃9万くらいの、まぁいいとこ住んでたんですよ。それを退職と同時に、小田急線の多摩川越えたあたりの家賃3万5千円のところに引っ越して。退職金と失業保険をフルに使って(笑)、で、週2~3くらい、出来る限り早い時間にバイトして日中動けるようにしてました。いつ誰かに呼ばれても身軽に行けような状態を作りたいと思って。そういう状態が2~3年続いてましたね。

タイラ:28歳で仕事辞めたときは次に具体的なプランとかがあるわけじゃなかったんですね?

會田:本当に何もなかったですね。

タイラ:漠然と「とりあえずこの環境じゃダメだ!」っと思って辞めたってことですよね。

會田:そうですね。土日はバンドやライブ観に行ったりで全部使うし、平日は仕事してるとやっぱりそれなりに疲れちゃうしで、結局辞めたときのことを考えて準備なんてできないな、って。で、「あ…やばい…俺、このまま流される…!!!」と思ってバッと辞めましたね。

タイラ:それすごい決意ですね、やっぱり。

會田:よく辞めましたよね(笑)。まぁ、でも正直なところ、収入が激減することよりか、思考停止してそのまま流されちゃう方が怖かったんだと思います。

タイラ:なるほど。その2~3年くらいの間は、音楽活動もしつつ、バイトをして。

會田:そうですね、かなりモヤモヤしてましたけど。

タイラ:では、現状の話になっていくんですが、えるえふるを作ったのは何歳の時ですか?

會田:仕事を28の誕生日の日に辞めて、確かちょうど丸3年後にえるえふるの物件の契約をしたんだったかな。だから31歳の時ですね。

タイラ:お店の話をする前にしておきたい話があるんですが、俺そもそも會田さんのことを知ったのは、會田さんのやっている飲み歩きのブログ(※3)を読んでいてなんです。土地勘がない街で友達と打合せとか遊びに行って、「どっか良い店ないかな?」ってなったときに會田さんのブログを見て、「あ、ここ良さそう」みたいな。core of bellsの會田さんっていう人と飲み屋のブログを書いている會田さんって人が一緒の人なんだ、っていうのが一致してなかったんですよね。それにずっと気が付かなくて、「このブログの人すごい詳しいな」みたいな(笑)。

※3 瓶ビール班長の飲み歩き日記。會田さんが東京近郊の居酒屋、立ち飲み屋などを独自の視点でまとめたBlog。

會田:「おじさんだと思ってました」とかすげー言われますねぇ。「50歳くらいのサラリーマンの人だと思ってた」とか(笑)。

印象的なえるえふるの壁の絵は画家・イラストレーターの椎木彩子さん作。

タイラ:あのブログはいつからはじめたんですか?

會田:あのブログは記憶がはっきりしないですけど、最初はライブの宣伝をするためにブログをやってて、告知みたいなことを書いてた中で、「あそこの飲み屋良かったよ!」みたいなことを書いていたんですよ。そしたら「あの飲み屋行ったよ!」っていう話を友達にされることがやけに多くなってきて。

タイラ:なるほど、反響がそっちに(笑)。

會田:そうですね、時間が経つとバンドよりもそっちの反響が大きくなってきて(笑)、じゃあちゃんとブログ書こうかなって思って。ブログ自体は仕事を辞める前から書いてたんですけど、ちゃんと本腰入れて「瓶ビール班長の飲み歩き日記」っていうサイトを書くようになったのはちょうどフリーになった時くらいですね。

タイラ:じゃあ時間も出来たし「これをちょっとちゃんとやってみようかな?」って感じで。元々飲みに行くとか食にも興味あったんですか?

會田:そうですね。20代半ばくらいにいわゆる“酒場”にハマり始めて、そこからはだいぶ飲みに行きましたね。それまではただ飲むことが好きだったんですけど、せっかく飲むなら美味しい店でリーズナブルにっていう。

唐突に決まったえるえふるの開店

タイラ:本題に戻るんですが、そういう色んな店で飲んだ経験を踏まえて、えるえふるみたいな飲み屋さんをやりたいなっていうのはいつ思ったんですか?

會田:実は自分で店をやりたいなっていうのは全く思ってなくって…。2015年の8月に店が始まったんですけど、その年の1月に、たまたまバンド仲間何人かでやきとん屋に行こうぜみたいな話になった中にcinema staffの辻君(※4)もいて。辻君とは一応その前に知り合ってはいたんですけど、別に飲みにいく仲とかではなかったんです。で、その飲み会のときに、辻君が店長をやっていた残響ショップ(※5)がもうすぐ閉まるって話を聞いて、辻君は「自分のレコード屋やりたいんだ」って言ってて。

※4 辻友貴。バンドcinema staffpeelingwardsのギタリスト。自主レーベルLIKE A FOOL RECORDSを運営。LIKE A FOOL RECORDS実店舗はえるえふると同店舗内に併設されている。お酒大好き。2017年の休肝日0日。

※5 インディーズレーベル・残響レコードが運営していたレコード店。国内外ポストロックを中心としたラインナップで、インディーズ音楽のアンテナショップとして多くの音楽ファンから認知されていた。2015年5月に閉店。

<cinema staff / pulse>

會田:その時僕はブログを通してお酒のイベントとかに呼んでもらって、そこで金宮焼酎で有名な宮崎本店の方々とか、ハイサワ―・博水社の田中社長とか知り合いになってたんで、「レコード屋で1杯サクッと飲めたら面白いね!もしお酒関係で協力できることがあればいつでも言ってね~」みたいな話をしてたんですけど、そしたらそのちょっと後に突然辻君から「こんな物件あるんですけど」って連絡が来て。「え!?」みたいな(笑)。

タイラ:出逢って3回目くらいで(笑)。

會田:そうそうそう(笑)。本当に「えっ!?」ていう感じで。最初に辻君が見つけてきた物件はすぐ埋まっちゃったんですけど、その直後にFEVERの西村さん(※6)から「FEVERの近所のとある物件が空くよ」って話が来て、僕自身、元々その場所にあったgallery commune(※7)の時代にも来たことがあったんで「あそこなら居抜きのままレコード屋と立ち飲み屋が一緒になったお店が出来るな」っていうのをひらめいて。すでに僕の中に飲み屋についての知識量はそれなりにはあったんで、自分でも簡単な料理だったら出せるかなっていうのもあって始まった感じですね。

※6 新代田FEVER。新代田にあるライブハウス。西村さんはFEVERのオーナーを務める。

※7 国内外のアーティストを紹介してきた新代田のギャラリースペース。2015年6月で閉鎖し、現在は出版レーベル commune Pressと主に週末限定で営業するzineやアートブックに特化したセレクトショップを運営。

タイラ:でも急に始まるという事はお金の準備とか大変だったんじゃないですか?

會田:そうですね。僕も辻君もこんなにすぐ始めると思ってなかったから、全然お互いお金も貯めてなくて、それこそ公庫に借りたんですよ。【生活と音楽 Vol.2】に出ていらっしゃるLITEの武田さんが税理士さんで辻君と知り合いだったんで、色々申請とかお願いして…本当に最初の家賃払えるかどうかっていう感じだったんですけど。でも始められれば何とかいけるだろうなっていう根拠のない自信がなぜか俺にも辻君にもあったから、勢いで始めちゃいました(笑)。

タイラ:なるほど、それもすごいですよね、その踏ん切りっていうか。

會田:ですね。なんだったんだろう、あの自信は(笑)。

タイラ:仕事を辞めた後の3年間は「楽しいことを出来るだけ多くやって生きるぞ」っていうことを考えていたという話だったと思うのですが、えるえふるの話しが来た時には「これかもしれない」って思ったんですか?

會田:そうですね。その3年間の間も「自分が出来ることって何だろう?」みたいのはずっと考えていて。いわゆる音楽イベントみたいなのは面白いですけど、今やっている人もいっぱいいるし。自分だから出来ることって何かなぁって考えていて、音楽とお酒を上手く繋げる何かだったらできるかもなってぼんやり思っていたんで、「あぁ!ちょうど考えていたことが実現できるじゃん!」っていう感じだったんですよね。

會田さんとcinema staff/ LIKE A FOOL RECORDS辻くん。

タイラ:客観的に聞くと、そのえるえふるをやる前の3年間は相当しんどかったんじゃないかなと思うんですよね。安定とか保証があるわけでもないし、例えばブログとかは書いているにせよ、何かのゴールを見て走ってるっていうよりは、漠然とした「何か」に向かって進んでるっていうことじゃないですか。

會田:うーん…まぁしんどかったですね…。もう本当に普通のバイトでしたし、30歳をその状態で迎えましたからね。いわゆる30歳なんて新卒で入ってたらそれなりになってるじゃないですか。子供産まれてしっかり家庭を築いてる友達もいるし。そんな状況で「どうしよう」みたいなのはありましたね。ちょっとマジこのままじゃどうにもならんから、もう一回就職するか、何かをそろそろ本当に仕掛けないとまずいぞって思ってた時期が、ちょうど辻君とえるえふるの話が浮上した時期でもあって。本当にすごいタイミングでしたよ。いつでも動けるようにしておいて良かったな~って。

タイラ:本当に奇跡的なタイミングだったんですね。じゃあ、もしかしたら辻君の提案が1年遅かったらやれてない可能性とかもある?

會田:いやー、やってないでしょうね!1年遅かったら別の何かを始めちゃってるでしょうから。

タイラ:そういう話をしていたとは言え、辻君は何で「會田さんと一緒にやる」って思ったんでしょうね?

會田:うーん、何でしょうね?それは辻君じゃないとわからない!(笑)僕としては本当に何となくのフィーリングでしかなかったですね。

タイラ:ここはちょっと辻君にも聞いてみたいところですね。それはお互いに話したことはないんですか?

會田:「始めちゃえばいける気がしたよね」みたいな話をぼんやりしたことはありますけど、何でお互いに決めたのかって話をちゃんとしたことはないですね。自分で言うのもあれですけど、割と僕も人と繋がりやすいキャラクターで、音楽に限らず演劇とかダンスの人の知り合いとかもいて、辻君も本当に人脈の人で。その辺の共通の感覚があったんでしょうね。で、始めれば、ちょっと被ってる知り合いがいつつも、また全然違う拡がりが出来そうだなっていう気がしてました。

(後編につづく)

PROFILE

會田洋平(AIDA YOHEI)

會田洋平(AIDA YOHEI)

1984年生まれ、神奈川県藤沢市出身。
バンドcore of bellsのメンバー。
新代田にある立ち飲み屋兼レコードショップ『飲み屋 えるえふる』のオーナー兼プロデューサー。
毎週土曜日に配信中のDIYラジオ・えるえふるラジオのパーソナリティ。
大衆酒場を中心とした飲み歩きブログ『瓶ビール班長の飲み歩き日記』、主にカウンター寿司に特化したブログ『寿司浪漫』を執筆中。
ほか、野球、旅行、銭湯、立ち食いそば、コンビニスイーツなど趣味多数。

core of bells:http://coreofbells.biz
飲み屋 えるえふる:http://listenandfood.red
えるえふるラジオ:https://soundcloud.com/user-945226142
瓶ビール班長の飲み歩き日記:http://瓶ビール班長の飲み歩き日記.com
寿司浪漫:http://www.寿司浪漫.com
ブログ:http://simplex.news

PROFILE

タイラダイスケ(FREE THROW)

タイラダイスケ(FREE THROW)

DJ。
新進気鋭のバンドと創り上げるROCK DJ Partyの先駆け的な存在であるFREE THROWを主催。DJ個人としても日本全国の小箱、大箱、野外フェスなど場所や環境を問わず、年間150本以上のペースで日本全国を飛び回る、日本で最も忙しいロックDJの一人。

<レギュラーパーティー>
毎月第二土曜日@新宿MARZ「FREE THROW」
毎月第四金曜日@渋谷OrganBar「Parade」
毎月第一&第三水曜日@赤羽Enab「Crab」

WEB:http://freethrowweb.com/
Twitter:https://twitter.com/taira_daisuke
Instagram:https://twitter.com/taira_daisuke

Source: https://sams-up.com/feed/

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